七月場所で栃煌山が両横綱を倒し、1敗で並んだときひ
ょっとしたら残りの対戦相手から優勝の可能性が考えら
れた。だが翌日から連敗して一瞬で日本人出身の優勝の
可能性はもろくも消えた。
可能性はもろくも消えた。
日本人出身の優勝は2006年一月場所の栃東まで遡らなく
てはならない。9年前以上という一昔前のことである。日
本人横綱の優勝は貴乃花最後の優勝となった2001年五月
場所という約14年前のことである。
本人横綱の優勝は貴乃花最後の優勝となった2001年五月
場所という約14年前のことである。
それでは貴乃花が初優勝した1992年一月場所から2006
年一月場所日本人出身最後の優勝栃東までの85場所、日
本人優勝はどういう状況だったのか。この期間は貴花田、
年一月場所日本人出身最後の優勝栃東までの85場所、日
本人優勝はどういう状況だったのか。この期間は貴花田、
曙、若乃花が台頭し始め、やがて曙が先行した。しかし、
貴ノ花が追いつき、追い越し、差をつけ始める。1996年
貴ノ花が追いつき、追い越し、差をつけ始める。1996年
までは日本人優勝者は18人、外国人優勝者は11人と日本
人優勝が先行した。ほかに日本人では若乃花、貴ノ浪が優
勝している。
勝している。
やがて貴乃花と拮抗してくるのが曙から武蔵丸に変わっ
た。貴乃花最後の優勝となった2001年五月場所では日本
人優勝者は37人、外国人優勝者は20人とさらに差をつけ
ていた。日本人ではほかに魁皇、琴錦などが優勝した。
しかし、この後の日本人力士はモンゴルの横綱朝青龍に
対抗できず、最終的には、日本人の優勝者は46人、外国
人の優勝者は39人と差をつめられた。
しかし、この後の日本人力士はモンゴルの横綱朝青龍に
対抗できず、最終的には、日本人の優勝者は46人、外国
人の優勝者は39人と差をつめられた。
舞の海氏は「なぜ、日本人は横綱になれないのか」とい
う本を出した。確かに幕内、十両、幕下を見回しても横
綱候補は見当たらない。だが、日本人力士の優勝となる
と少しは可能性が高まるのでは。そうはいっても優勝の
大部分は横綱である。日本人力士の優勝は外国人横綱が
総崩れになったときにチャンスが出てくる。
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