大相撲

貴乃花がいたころの日本人力士の優勝

2015年8月5日

七月場所で栃煌山が両横綱を倒し、1敗で並んだときひ
ょっとしたら残りの対戦相手から優勝の可能性が考えら
れた。だが翌日から連敗して一瞬で日本人出身の優勝の
可能性はもろくも消えた。
貴
<貴乃花>
 
日本人出身の優勝は2006年一月場所の栃東まで遡らなく
てはならない。9年前以上という一昔前のことである。日
本人横綱の優勝は貴乃花最後の優勝となった2001年五月
場所という約14年前のことである。

それでは貴乃花が初優勝した1992年一月場所から2006
年一月場所日本人出身最後の優勝栃東までの85場所、日
本人優勝はどういう状況だったのか。この期間は貴花田、
曙、若乃花が台頭し始め、やがて曙が先行した。しかし、
貴ノ花が追いつき、追い越し、差をつけ始める。1996年
までは日本人優勝者は18人、外国人優勝者は11人と日本
人優勝が先行した。ほかに日本人では若乃花、貴ノ浪が優
勝している。
曙
<曙>
 
やがて貴乃花と拮抗してくるのが曙から武蔵丸に変わっ
た。貴乃花最後の優勝となった2001年五月場所では日本
人優勝者は37人、外国人優勝者は20人とさらに差をつけ
ていた。日本人ではほかに魁皇、琴錦などが優勝した。
しかし、この後の日本人力士はモンゴルの横綱朝青龍に
対抗できず、最終的には、日本人の優勝者は46人、外国
人の優勝者は39人と差をつめられた。
200603春千 392
<朝青龍対栃東>
 
舞の海氏は「なぜ、日本人は横綱になれないのか」とい
う本を出した。確かに幕内、十両、幕下を見回しても横
綱候補は見当たらない。だが、日本人力士の優勝となる
と少しは可能性が高まるのでは。そうはいっても優勝の
大部分は横綱である。日本人力士の優勝は外国人横綱が
総崩れになったときにチャンスが出てくる。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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