大相撲

スーパー新入幕力士3

2014年10月17日

1945(昭和20)年秋場所(11月)入幕
前頭10 千代ノ山 10勝 優勝同点
千代ノ山から千代の山に変わるのは1954(昭和29)年以降

大相撲は戦後の混乱期。敗戦からわずか3カ月しかたって
いないなか開かれたのである。よく開けたなというのが
当時の印象だった。先場所は非公開で場所が開かれたほど
である。進駐軍によって日本の古いものはみんなダメと
いう風潮の中で、相撲は見向きもされなくなっていた
時代である。

2場所連続十両優勝した千代ノ山は入幕して前頭10枚目
に躍進した。東西制の東方の千代ノ山は快調に白星を重ね
ていく。千秋楽は初代若乃花の師匠にあたる大ノ海を
倒してついに10戦全勝を達成した。1909(明治42)年の
優勝制度開始以来初の新入幕全勝力士が出現した。周囲は
驚愕した。ただし大関はおろか三役との対戦はなかった。
優勝は同じ全勝の横綱羽黒山に手に渡ったため優勝同点で
終わった。
千代山
<千代ノ山のブロマイド>
 
千代ノ山は相撲界を担う期待の星だった。千代ノ山を強く
して英雄にして相撲界の興隆をはからんとしていた。
当時は食料事情が悪くどの力士もやせていたが千代ノ山
だけは筋骨隆々だった。千代ノ山は期待に応え、その後
横綱に昇進した。しかし横綱返上問題を起こすなど波乱に
みち、大横綱にはほど遠かった。

引退後は九重として将来出羽海部屋を引き継ぎべく熱心に
弟子集めをした。しかし、出羽ノ花の出羽海が自分の娘を
佐田の山と結婚させたために独立せざるを得なくなった。
当時出羽海部屋には独立は認めない不文律があったため、
破門された上での独立となった。千代ノ山は親方人生でも
波乱のひと時をむかえることになった。

1960(昭和35)年一月場所入幕
前頭13 大鵬 12勝3敗 初日から11連勝

彗星のごとく出現した大鵬は初日から快調に白星を連ねて
いく。十両から注目されていた若くて強くて好男子の大鵬に
さらに全国的に注目が集まった。大鵬という四股名は当時
としては珍しく聞きなれない響であった。大鵬の全盛期でも
鵬の字の四股名はなかったのに今日これほど多用化される
とは想像できなかった。

大鵬は勝ち続けて初日からの連勝はついに11まできた。
ここでストッパーとして対戦相手に指名されたのが若手で
将来性トップクラスの小結柏戸である。12日目若い力は
激突した。力と力の攻め合いしのぎ合いになったが、一日
の長がある柏戸が下手出し投げで大鵬の連勝をストップ
した。
大鵬 ブロマイド
<大鵬のブロマイド>
 
大鵬は二所ノ関(元佐賀ノ花)の英才教育を受けた。
佐賀ノ花の師匠の横綱玉錦が攻め一辺倒の相撲だった。
攻めがツボにはまれば強いが、どうしても安定感に欠ける
一面がある。そのため、大鵬には安定感のある負けない
相撲を授けた。そのため、大鵬は負けまいと退嬰的に
なることがあり、相撲の大きさが失われた。

大鵬は最初柏戸に苦戦したが、柏戸に押されなくなって
くると柏戸戦の勝利が増え、32回優勝、6連覇2度を達成
した。一大年寄大鵬を贈られ、輝かしい栄光に包まれた現役
時代といえる。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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