初日の注目に値する一番は横綱・大関がらみの取組では
ない。若いパワーが激突した遠藤対照ノ富士戦である。
この一番は期待以上の熱戦を展開した。遠藤が食い下がる
有利な体勢をつくるも、照ノ富士がしのいで遠藤の体勢を
おこして寄り切った。遠藤は粘力相撲をよく取るが、負け
ず劣らず照ノ富士も粘る相撲をみせる。
照ノ富士は十両に上がって急速に強くなった。それまで
弱かったわけではないが、環境は大きく変った。照ノ富士は
最初、若三勝として2代目若乃花の間垣部屋に入門した。
序ノ口から幕下まで13場所64勝27敗○37で十両に昇進
したのだからスピ-ド出世といえる。
2代目若乃花の間垣は体が思わしくなく、部屋を閉じる
ことにした。通常このような場合、二所系統の部屋に
弟子を預けるところだが、彼は同郷の(青森)旭富士の
伊勢ヶ浜に託したのである。新たな指導者、新たな環境・
稽古相手、これが新十両とともに四股名を照ノ富士と
改名し、転機となった時期である。
照ノ富士は右四つ、177キロ、22歳 体を生かした大きい
相撲を取る。大きさは胸を合わせる取り口と上手からの
技にある。十両では逸ノ城が幕内を狙える位置に上がって
きた。若手の出世争いがみものである。