大相撲

■名初日 遠藤倒し、照ノ富士浮上

2014年7月13日

初日の注目に値する一番は横綱・大関がらみの取組では
ない。若いパワーが激突した遠藤対照ノ富士戦である。
この一番は期待以上の熱戦を展開した。遠藤が食い下がる
有利な体勢をつくるも、照ノ富士がしのいで遠藤の体勢を
おこして寄り切った。遠藤は粘力相撲をよく取るが、負け
ず劣らず照ノ富士も粘る相撲をみせる。

140713初日幕内 611

照ノ富士は十両に上がって急速に強くなった。それまで
弱かったわけではないが、環境は大きく変った。照ノ富士は
最初、若三勝として2代目若乃花の間垣部屋に入門した。
序ノ口から幕下まで13場所64勝27敗○37で十両に昇進
したのだからスピ-ド出世といえる。

2代目若乃花の間垣は体が思わしくなく、部屋を閉じる
ことにした。通常このような場合、二所系統の部屋に
弟子を預けるところだが、彼は同郷の(青森)旭富士の
伊勢ヶ浜に託したのである。新たな指導者、新たな環境・
稽古相手、これが新十両とともに四股名を照ノ富士と
改名し、転機となった時期である。

照ノ富士は右四つ、177キロ、22歳 体を生かした大きい
相撲を取る。大きさは胸を合わせる取り口と上手からの
技にある。十両では逸ノ城が幕内を狙える位置に上がって
きた。若手の出世争いがみものである。
140713初日幕内 641

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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