大相撲

さようなら相撲の会の会長

2014年6月6日

今、全国に大相撲のファンサークルはどれくらいあるの
だろうか。数年前関西のある同好会がなくなった。かなり
高齢化していたと聞く。今から16年ごろ前に20年以上
続いた歴史をもつ相撲の会が解散した。会員は全国に
一時100名以上おり、定期的にきちんと会報を出し、行事
も充実していた。

本場所観戦をはじめ、貴ノ花と語る、相撲評論家小島
貞二氏の講演、番付予想、勝負予想などが行われていた。
さらに相撲の稽古や大会、合宿まであった。それもまわし
をつけて土俵の上でひんぱんに行われていた。筆者も
この草相撲に何度となく参加し、肌で相撲を知る機会に
なった。相撲とは関係のない海水浴や野球大会まであった。

相撲の会の存在によって多くの友人ができたことは人生に
とって大きな出来事だった。この相撲の会は長きにわたっ
たが、会長は変らずに一人であった。解散の理由は会長が
おりることになったが、新しい会長立候補者がいないため
である。会はなくなったが人と人のつながりは消えなかった。
会長は中国の留学生のめんどうを見ていたことがあった。
筆者は留学生をディズニーランドや東京タワーなどに案内
したことがあった。

その元会長が先日亡くなられた。お元気でないのは風の
便りにきいていたが、突然の訃報に驚いた。古い力士の
写真が誰なのか、相撲部屋のルーツ、相撲史などまだまだ
教えを受けたかったのに…。偲ぶ会で最後のお別れをして
こようと思う。今は謹んで御冥福をお祈りします。合掌。
<写真は会長のHPより>
香山

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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