長谷川の関脇優勝の翌場所、関脇輪島が初優勝した。一人横綱北の
富士は負けが込んでの途中休場だった。3勝5敗と見ていて勝てそ
うもない相撲であった。休場理由は前代未聞の不眠症であった。
大関陣は相変わらずあてにならなかった。大関琴櫻も途中休場、清
國は序盤で3敗していた。大麒麟は9日目までで3敗だった。輪島
は2敗で勝ち進んだ。

千秋楽は通常なら清國対大麒麟の大関同士の対戦になる。ところが
優勝争いを盛り上げようとして輪島対大麒麟が千秋楽に組まれた。
しかし、そうは展開しなかった。14日目の清國対大麒麟で大麒麟が
敗れ、輪島の優勝が決まってしまった。清國は勝って7勝7敗とし
た。
千秋楽は大麒麟が粘りをみせ、輪島を破った。昭和47年五月場所の
優勝争いはしらける結果で終わった。大麒麟はここ一番で負けるこ
とが多く、ついに優勝できなかった。高安をみるにつけ、大麒麟と
重なる部分を感じる。

成果は輪島が12勝優勝、貴ノ花・魁傑が11勝4敗だった。三賞も殊
勲賞輪島、敢闘賞魁傑、技能賞貴ノ花が受賞した。輪島・魁傑の花
籠(元大ノ海)部屋と貴ノ花の二子山(元初代若乃花)部屋は阿佐
ヶ谷方面に部屋があった。素質・素材のいい3人が将来阿佐ヶ谷で
優勝をたらい回しにし、両国に賜杯を渡さない、とまで見ているメ
ディアがあった。
この見方は北の湖の台頭で別な方向へ向かうことになった。