関脇優勝誕生の背景5

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朝潮は歴史に残るほどの大力士になるのでは。それほど期待される
逸材であった。巨人であった。145キロあった。戦後食料事情がよ
くない時代に堂々たる体格であった。実際は強い朝潮と弱い朝潮が
同居しているといわれた。

朝汐のブロマイド

朝潮は2回関脇優勝している。最初は昭和31年春場所のことであっ
た。成績は12勝3敗であった。4横綱3大関の時である。
・横綱
鏡里 8勝7敗
吉葉山11勝4敗
栃錦 9勝6敗
千代の山8勝7敗
・大関
若ノ花12勝3敗
大内山10勝5敗
松登 9勝6敗(同系統で朝汐との対戦はない)
1ケタ勝利が4力士もいる。

朝汐、若ノ花、若羽黒の優勝決定巴戦になった。その結果朝汐が初
優勝した。若ノ花の初優勝は翌場所であった。しかし、朝汐の大関
昇進はならなかった。9勝ー9勝ー12勝だった。 

2回目の関脇優勝は1年後の昭和32年三月場所であった。4横綱2
大関の時であった。成績は13勝2敗であった。
・横綱
千代の山10勝5敗
栃錦  11勝4敗
吉葉山 途中休場
鏡里  11勝4敗
・大関
若ノ花 10勝5敗
松登  9勝6敗(同系統で朝汐との対戦はない)

朝汐のブロマイド

関脇優勝した朝汐だが、三賞はなかった。現代なら考えられない。
朝汐は場所後大関に昇進した。成績は8勝ー8勝ー13勝で前回の優
勝時より1勝少ない不可解な成績であった。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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