昭和40年一月場所から部屋別総あたり制が始まった。元双葉山の時
津風理事長の英断で実現した。その場所後大関佐田の山の横綱が決
定した。一月場所の上位の番付と成績は以下だった。
大鵬 11-4 横綱 柏戸全休
栃ノ海8-7 張出
佐田の山13-2 大関
翌場所↓
大鵬 横綱 佐田の山
栃ノ海張出 柏戸

大関から横綱に昇進した佐田の山が西の正横綱に位置した。昭和45
年一月場所後北の富士、玉の海の同日横綱が実現した。
大鵬 全休 横綱
北の富士13-2大関 玉乃島 13-2
翌場所↓
北の富士 横綱 玉の海
大鵬 張出

全休の大鵬は第3横綱に置かれた。それだけではない。協会のポス
ターからはずされたのだ。昭和48年一月場所後琴櫻が連続優勝で横
綱に昇進した。
北の富士10-5 横綱
琴櫻 14-1 大関
翌場所↓
琴櫻 横綱 北の富士
さらに同年五月場所後輪島が横綱に昇進した。
北の富士9-6 横綱 琴櫻 10ー5
輪島 15-0大関
翌場所↓
輪島 横綱 琴櫻
北の富士張出

昭和は実力制の番付が編成されていた。それが合理的であったわけ
である。今の実力で琴櫻と安青錦はどちらが上か。いうまでもある
まい。
実際は8勝琴櫻を上にするだろう。今の番付編成は明らかに実力制
に逆行している。いわば不合理の塊なのである。それは平成中期の
栃東の大関昇進とともに始まった。過ちを改めるのにはばかること
なかれ。