優勝間隔記録というと2回以上の優勝になる。対象は大正15年の公
式優勝制度以降になる。間隔数字は12場所以上とした。ちなみに横
綱羽黒山は11場所の優勝間隔記録をもつ。6回目優勝から7回目
(最後)優勝のときである。この間羽黒山はアキレス腱を切断して
いる。
最初に登場する力士が千代の山である。3回目と4回目の優勝間隔
は12場所である。この間の昭和26年三月場所中横綱返上問題をおこ
している。横綱の権威から協会は認めるわけにはいかなかった。

次が朝潮である。4回目の優勝から5回目の優勝で13場所あいた。
5回目が最後の優勝であり、横綱初優勝であった。朝潮は横綱在位
16場所でフル出場は9場所だった。横綱2場所目から3場所連続全
休している。

柏戸は若くして横綱に昇進したが、優勝は遠かった。大関時代の初
優勝から2回目の優勝まで15場所あいた。2回目の優勝が涙の全勝
優勝だった。横綱12場所目の優勝でもあった。なお、最後の5回目
の優勝から引退まで12場所優勝がなかった。

栃ノ海はけして強い横綱ではなかった。栃ノ海は最後の3回目の優
勝から引退まで15場所優勝がなかった記録をもつ。
大鵬は。自分がいて一番損をこうむったのは佐田の山さんと語って
いた。佐田の山は優勝間隔16場所と14場所の記録をもつ。最初は関
脇優勝の2回目から大関最後の場所の3回目の優勝である。2回目
は4回目の横綱初優勝から5回目の優勝までである。5回目の優勝
はラッキーな面があった。優勝戦線トップの大鵬休場でころがりこ
んできた。
