栃錦が入幕した時は75キロあるいは78キロと言われた。現代では考
えられない軽量である。栃錦はとにかくよく動いた。つかまってし
まっては体重差でつぶされる。とにかく動きまわって相手の乱れを
つくしかなかった。
入幕から5場所目技能賞を受賞すると常連になってきた。小兵名人
の評価が高まっていった。体重は90キロになっていた。そんな栃錦
が優勝争いをすることになった。昭和27年秋場所であった。当時は
年3場所制であった。

4横綱2大関が在位していた。
・横綱
東富士 7勝7敗1休
千代ノ山11勝4敗
羽黒山 途中休場
照國 途中休場
ただ大関鏡里は栃錦に土をつけ12勝3敗の好成績を残した。大関吉
葉山とは1敗同士で14日目に激突することになった。ところが思わ
ぬ事態がおきた。栃錦はその前夜から扁桃腺炎で40度の高熱で苦し
んでいた。春日野(元栃木山)部屋は大騒ぎのなか医者がつきっき
りで来た。当日診断した結果、ドクターストップ、師匠ストップと
なった。
ところが栃錦は今日の一番を見にお客さんは来てくださる。絶対休
みません。出ますと周囲を説き伏せてしまった。春日野部屋の力士
には箝口令が敷かれた。

大一番は、栃錦がけたぐり、無双と揺さぶりをかける。吉葉山は喉
輪と栃錦の痛いところを攻めた。むろん吉葉山は栃錦の病を知らな
い。最後は栃錦が強烈な二枚蹴りを決め、吉葉山は宙に浮いて落ち
た。
千秋楽も勝ち、栃錦は14勝1敗で初優勝を達成した。支度部屋では
賜杯を前に感涙が止まらなかった。場所後小兵名人栃錦は大関に昇
進した。