昭和45年九月場所、大鵬は12勝3敗と復調した。この場所強くなっ
たのが初代若乃花の実弟貴ノ花だった。角界のプリンスと呼ばれ、
将来が期待される逸材であり。人気があった。その貴ノ花がしぶと
く食いついて大鵬を破ったのだから何かが変わった。貴ノ花はこれ
が初の三賞で殊勲賞を受賞した。
翌十一月場所、大鵬は14勝1敗で玉の海と優勝決定戦をおこなった。
1敗は黒姫山だった。魔の5道目の敗戦だった。貴ノ花は奮闘し、
3横綱・4大関に敗れ、さらに関脇以下の福の花にも負け、7勝8
敗で負け越した。しかし、連日の奮闘とお客を呼び寄せた功労で、
主催者の福岡スポーツセンターから特別に表彰された。

昭和46年一月場所、大鵬は晩年最大の死闘をすることになる。貴ノ
花との一戦であった。貴ノ花の出し投げに大鵬は泳いで土俵際に詰
まった。必死で吊りにいく貴ノ花。つま先立ちで必死に残す大鵬。
大鵬が体をあびせる形になってどうにか勝った。だが貴ノ花の足が
変に曲がって倒れこみ、休場においこまれた。この場所大鵬は最後
の優勝を達成した。
三月場所、大鵬は玉の海・北の富士に敗れ12勝3敗に終わった。優
勝は玉の海で安定感は抜群だった。貴ノ花は番付を下げ対戦はなか
った。大鵬は悪くても12勝3敗をあげる力はあった。
五月場所初日、大鵬は栃富士を果敢に攻めたが、腰が入って尻から
落ちた。いやな負け方だった。そして5日目貴ノ花戦をむかえた。
貴ノ花のねばる相撲に大鵬は最後土俵からくずれた。これが大鵬最
後の一番になった。

大鵬は引退した。数々の栄光に彩られ、記録を残した。優勝32回、
6連覇2回、45連勝+α。6場所時代の申し子であった。晩年まで
新しい力玉の海・北の富士に対抗した。