去る一月場所で2つの変化があった。1つは横綱照ノ富士の休場か
らの引退である。もう1つは大関豊昇龍の横綱昇進である。来たる
三月場所は1横綱2大関で迎えることになる。

それでも横綱・大関陣は3人という手薄時代が続くことになる。令
和は全体的に横綱・大関が手薄の印象がある。まして横綱・大関の
フル出場となるとますます手薄になる。具体的にどういう数字にな
るか調べてみた。
横綱・大関のフル出場
令和 1月 3月 5月 7月 9月 11月
元年 横1大2横2大0横0大2横1大1
2年 横0大2横2大1 中止 横0大1横0大2横0大1
3年 横0大2横0大3横0大3横1大2横1大2横1大2
4年 横1大1横0大3横1大3横1大2横0大3横0大2
5年 横0大1横0大0横1大1横0大0横0大3横0大3
6年 横1大2横0大3横0大2横1大2横0大2横0大3
7年 横0大3
以上の数字となった。横綱・大関のフル出場なしが2場所ある。令
和5年三月場所である。この時は横綱照ノ富士、大関貴景勝の1横
綱、1大関のみだった。もう1場所は同年七月場所である。霧島が
新大関だったが、途中出場している。
横綱・大関が1人だけのフル出場場所が3場所ある。令和2年三月
場所の大関朝乃山、同年十一月場所の大関貴景勝、令和5年一月場
所の大関貴景勝である。三月場所は照ノ富士が再入幕優勝している。
あと2場所、孤軍奮闘した貴景勝が優勝している。

横綱・大関の休場者なしが4場所ある。令和2年三月場所、令和3
年十一月場所、令和4年五月場所、令和5年五月場所である。令和
2年三月場所は無観客開催だったのだから皮肉である。横綱2人、
大関貴景勝だった。白鵬と鶴竜が相星決戦をおこなった。
令和3年十一月場所は横綱2場所目の照ノ富士が全勝優勝した場所
である。令和4年五月場所は横綱照ノ富士と大関御嶽海・正代・貴
景勝と4人そろった。御嶽海は負け越している。令和5年五月場所
は横綱照ノ富士と大関貴景勝の2人だけだった。

令和は現時点で34場所経過した。横綱がフル出場しなかった場所が
実に多く21場所に及んだ。白鵬・鶴竜は晩年で休場が多かった。照
ノ富士は横綱在位21場所中一人横綱の時代がほとんどで20場所にな
る。そのうち13場所が休場だった。
令和に横綱・大関の層の厚い時期はくるのだろうか。大関以上は選
ばれし者がなる地位ではある。中には根性や努力で上がった者だっ
ている。ピラニア・相撲博士と言われた旭國である。小兵ながら稽
古で固めた体であった。層が薄いのだからチャンスはある。
