引退した北の富士は独立して井筒部屋をおこした。元千代の山の九
重は出羽海(元出羽ノ花)部屋から破門波紋独立した。その際自分
についてきてくれた北の富士を快く送り出し独立させた。ところが
一転する事態が起きた。
九重が急逝したのである。51歳という若さであった。最後の言葉は
「てっぽう柱が…」であった。井筒部屋独立から約2年9カ月後、
昭和52年10月29日のことであった。九重部屋と井筒部屋が併合し、
九重部屋としてスタートすることになった。
故千代の山の弟子に千代の富士がいた。投げ中心の相撲で脱臼癖が
あった。これを筋肉の鎧を身に着け、前みつを取って出る相撲に変
えた。そして大横綱の道を歩んだ。優勝31回、53連勝、最初に通算
1000勝を達成した。
もう一人育てた横綱がいる。北勝海である。激しい稽古で自己の限
界以上の力を発揮した。ぶつかり稽古はすさまじかった。千代の富
士より8歳年下で、24場所横綱同時期であった。北勝海と千代の富
士で九重部屋10連覇を成し遂げている。北勝海は8回優勝して28歳
で引退した。
元北の富士はほかに以下の幕内力士を育てた。
景虎
若の富士
考乃富士
富士の真
巴富士
平成10年の理事選挙に異変があった、陣幕(元北の富士)が高砂一
門の理事立候補からはずされた。予備選で陣幕は自分を推さなかっ
た裏切りに嫌気がさしたのだろうか、突然協会を退職した。「なに
も辞めなくても」と境川(元佐田の山)は惜しんでいた。
これを察知したNHKの行動は早かった。北の富士を専属解説者と
して迎えたのである。北の富士55歳のときであった。