去る九月場所、十両では圧倒的強さで尊富士が優勝した。その尊富
士は七月場所十両で珍記録を残している。1場所に2度休場したの
である。
ややややややや○○■ややややや
その理由は幕下に落ちない成績を残せたからのようである。
このような珍記録はほかにあるのか、調査してみた。対象は晴天興
行が終了した国技館開設以降とした。つまり明治42年夏場所以降で
ある。ただ、十両はまだフル出場していなかった。十両がフル出場
したのは昭和3年以降である。それ以前に例外的に3場所あるだけ
である。
最初に2度休場したのは横綱梅ヶ谷である。明治43年夏場所に記録
している。
やややや引き分け相手休情やややや
相手休情とは対戦相手が休場したら自分も休場扱いになる仕組み。
当時は不戦勝制度がなかった。ただ、相手の両国は休場であり、梅
者ヶ谷両国両者休場が本当かもしれない。
明治44年春場所前6大鳴門
●ややや●ややややや
幕内を24場所務め、最高位関脇だった。
もう一人いる。前5大ノ川
●●やや●●ややや
幕内20場所在位し、最高位、小結だった。
大正3年春場所大関駒ヶ嶽
やや相手休情や●●相手休情ややや
相手休みは自己都合の休場ではないので厳密には3度休場したこと
になる。駒ヶ嶽はこの場所引退している。
もう一人いる。前14加勝山である。
相手休情ややや●○相手休情ややや
加勝山は新入幕であった。幕内2場所在位で前頭14枚目が最高位で
あった。
(この項目続く)