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横綱優勝次点番付

高校野球には春・夏の大会の準優勝表彰は
あるが、大相撲の表彰は優勝者だけである。
かつて相撲専門誌の読者欄で大相撲の準優勝
の表彰を提唱した意見があった。一方で初代
若乃花の二子山は「それをすると甘くなっ
ちゃうから」と言っていた。優勝力士は覚え
ていても優勝次点力士は忘れがちである。
そこで最高位横綱の優勝次点番付を作成して
みた。

ここでいう優勝次点だが、複数いる場合は
番付上位とした。五月場所は11勝4敗が大栄
翔、隆の勝、佐田の海と3人いるが、番付
上位の大栄翔とした。また数字的には次点
でも横綱・大関との対戦が不十分なケースは、
さらに次の成績の力士にした。対象は優勝
制度がスタートした大正15年以降とした。
その結果最高位横綱の優勝次点番付は次の
ようになった。

トップは19回の白鵬である。白鵬が初優勝
したのは平成19年五月場所だが、それまでに
3回優勝次点を経験している。優勝回数が
優勝次点回数を超えるのは時間の問題だった。
優勝と合わせと64回だから途方もない数字に
なる。まさに超人的強者だった。

<白鵬(右)>

次が北の湖の17回である。21歳で横綱になっ
たから息が長かった。昭和49年は3場所連続
次点になっている。昭和52年は年4回次点
だった。ただ、17回次点のうち優勝決定戦で
5回負けた分が入っている。

<北の湖>

優勝5回の柏戸が優勝次点15回を記録して
いる。このうち11回は大鵬が優勝している。
大鵬が6連覇したとき、柏戸は5連続次点
だったことがある。柏戸は大鵬時代の影に
隠れた存在だった。佐田の山も同様である。
11回の優勝次点のうち大鵬優勝は8回もある。
「自分がいることで最も苦労したのは佐田の
山」と大鵬は語っている。

<柏戸>

貴乃花の場合前期曙、後期武蔵丸がライバル
であった。曙優勝、貴乃花次点は5回、貴乃
花優勝、曙次点は7回であった。武蔵丸優勝、
貴乃花次点は2回、貴乃花優勝、武蔵丸次点
は7回に及んでいる。貴乃花はほかに同部屋
の若乃花、貴ノ浪の優勝時の次点がある。
特に貴ノ浪とは優勝決定戦で2回負けている。

<貴乃花>

ライバル玉の海と北の富士は、次点が9回、
3回と差がついてしまった。これは安定感の
あった玉の海に対し、北の富士は調子相撲
だったことが大きい。燃える要素があると
強い北の富士。いいときはいいが、そうで
ないときはあっさりしていた。

<北の富士>

年4場所から2場所時代の玉錦が、12回の
優勝次点はいささか多い。群雄割拠から第一
人者へ変遷している。横綱不在時は最強で
あった。ようやく横綱になったもののだいぶ
据え置かれてきた。双葉山の台頭とともに
第一人者の座を追われた。

<玉錦のブロマイド>

現役では照ノ富士が6回、貴景勝が5回、
高安が4回優勝次点になっている。朝乃山は
3回だが、復帰が待たれる。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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