十一月場所、横綱照ノ富士は初の全勝優勝を
達成した。七月場所では惜しくも逃していた
だけに堂々たる優勝だった。さらに新横綱
からの連続優勝であった。大正時代の横綱の
栃木山が新横綱から3連覇しているという
報道があったが、まだ優勝制度はなかった。
あったのは、時事新報社が幕内最高成績者の
写真額を国技館に掲げる制度であった。当時
は不戦勝不戦敗制度、取り直し制度がなかっ
た。これらは優勝制度とともに制度化された。
照ノ富士の相撲は非常に安定している。攻め
込む力士はいても攻め切れない。照ノ富士は
四つ相撲だが、離れても勝ってしまう。まさ
に1強時代である。その照ノ富士の相撲内容
を検証し、15日間を採点してみた
採点の基準は、自分の力をどれくらい土俵で
発揮したかである。勝ち負けではない。点数
は1点から最高5点までとし、小数点0.5まで
区切って採点した。
<初日 霧馬山 4>
<2日目 大栄翔 3>
<3日目 若隆景 5>
<4日目 阿武咲 4>
<5日目 隆の勝 4.5>
<6日目 隠岐の海 4.5>
<7日目 妙義龍 4.5>
<8日目 遠藤 5>
<9日目 高安 5>
<10日目 豊昇龍 5>
<11日目 逸ノ城 4.5>
<12日目 明生 4.5>
<13日目 御嶽海 5>
<14日目 阿炎 3.5>
<千秋楽 貴景勝 4.5>
トータル66 . 5点。これが十一月場所の照ノ
富士の相撲内容の採点である。もっとも危な
かった相撲は大栄翔戦、次が阿炎戦であった。
2戦ともよく残したものである。全勝は結果
であってすべて完璧とはいかなかった。むし
ろ七月場所のほうが、スキがなく、危なげ
なかった。十一月場所は負けない相撲であっ
た、といえる。今後はどんな相撲を取るか。
照ノ富士の新たな戦いは続く。
福岡の疲れが残っています。
興味深いテーマをこれからもお届けします。