11位羽黒山
12位玉の海
二人に続くのはやはり輪島である。輪島は
2年連続学生横綱を引き下げ、大相撲界に
入ってきた。評価は必ずしも高くなかった。
胸が薄く、頭をつける、下手の技など相撲が
小さかった。ところが輪島は幕下付け出しで
2場所連続全勝優勝して、無敗のまま十両
入りした。
相撲の天才児は、ついに横綱を手中にした。
マシーンのような強さ。羽黒山の堅実さ、
強さと安芸ノ海のうまさをあわせたのが、
輪島の相撲。すり足、顎があがらない、腰を
落として攻める。大胆な中に緻密さがある。
攻撃から防御、防御から攻撃と相撲にリズム
がある。輪島の強さの一番のポイントは腰の
中心点に寸分のくるいもないということだ。
投げを打つときの体の開きは天才的と賞賛
された。
大関から横綱になった北の湖には強かった。
輪島と北の湖が優勝を争うようになったのは
昭和51年から52年である。横綱優勝12回、
横綱優勝率26%、横綱勝率7割6分6厘。
輪島を13位とした。
曙は貴乃花・3代目若乃花と同期である。
大関、横綱は曙が先行した。小錦のとき外国
人横綱はいらないという記事が雑誌に掲載
された。また、小錦が横綱になれなれなかっ
たのは人種差別だ、という声があったが、
曙のときは消えていた。
曙の突きの破壊力は大変なものだった。平成
5年七月場所、横綱曙、大関貴ノ花、関脇
若ノ花が優勝決定巴線をおこなった。曙の
突きの前に若貴はひとたまりもなかった。
貴乃花が体重増加に走るのも無理はなかった。
横綱優勝8回、横綱優勝率17%、横綱勝率
7割8分。曙を第14位とした。
武蔵丸は遅れてきた横綱であった。大関在位
32場所は横綱になった大関在位記録としては
最長タイ記録である。大関で5回優勝して
いる。ハワイ勢は伝統的にパワー戦法である
が武蔵丸も例外ではなかった。加えてがっち
りしたごつい筋肉で固めた体が武器でもあっ
た。
横綱後は優勝をかけての横綱決戦は意外と
少ない。貴乃花と4度あるだけ。相星決戦
2度、1差決戦2度である。武蔵丸は相星
決戦を制して2回優勝している。横綱優勝
7回、横綱優勝率26%、横綱勝率7割6分
3厘。武蔵丸を15位とした。
昭和・平成の横綱ベスト15の人数わけは以下
のようになった。
戦前3人
戦後19年3人
昭和40年から63年4人
平成5人
横綱誕生時に基づいている。羽黒山は戦後の
活躍のほうが長く、千代の富士は平成初期
まで活躍した。昭和・平成の横綱ベスト15は
異論反論があるのを承知の上で選ばせていた
だいた。
(この項目終わり)
北海道物産展をやっていました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。