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現代相撲部屋継承事情10

7代続いている部屋が高砂部屋である。創設
者は明治の風雲児高砂浦五郎である。大名の
お抱え力士という時代でなくなっていたなか
で、相撲会所(日本相撲協会の当時の呼称)
のトップ筆頭玉垣(前身は謎)とNo.2筆脇
伊勢ノ海五太夫(元柏戸宗五郎)の専横は
目に余った。それは力士への支給なしや番付
編成のいいかげんさに表われていた。高砂は
改革賛同派とともに収入の明確化、力士への
支給をなどの要求を相撲会所につきつけた。

これに対し、相撲会所は高砂ら改革派の番付
を黒塗りにして締め出す報復に出た。高砂は
大阪相撲や京都相撲と手を組んで高砂改正組
を組織した。しかし、東京に2つの組織が
あることをよしとしない方たちがいて、2つ
の組織は1つにまとまることになった。その
さいの取り決めは高砂の主張が取り入れられ
たカタチとなった。

<高砂浦五郎>

高砂は調停前に高砂部屋を創設した。高砂の
手腕で横綱免許の西ノ海・小錦、大関一ノ矢・
初代朝汐などを育てた。年寄としては取締に
ついたが、永久取締を宣言して、他の年寄の
反発を招き、専横ぶりは力士のクーデターに
発展した。風雲児高砂浦五郎は61歳で波乱の
生涯を終えた。

後を継いだのが元高見山宗五郎であった。
温厚で人望があり、多くの分家が誕生した。
自身は取締を努めた。63歳で亡くなると後継
争いがおきた。争ったのは2代朝潮と綾川
(前名響矢)であった。共に現役であったが、
2代朝潮が二枚鑑札で継いだ。朝潮は翌場所
大関に昇進している。

<2代朝潮のブロマイド>

3代高砂(元2代朝潮)は62歳のとき、隠居
した。高砂は前田山が二枚鑑札として4代目
となった。大関のときである。横綱で不成績
続きの前田山は休場中、日米野球観戦をする
というシールズ事件で現役をやめさせられて
いる。引退した元前田山の4代高砂は数多く
の弟子を育てた。横綱朝潮、大関前の山、
関脇前田川、小結富士錦・高見山(のち関脇)
をはじめ多くの幕内力士を輩出した。外国人
を本格的に入門させ、育てた開拓者でもあっ
た。

<前田山のブロマイド>

4代高砂が56歳の若さで亡くなると、あとを
継いだのが元横綱朝潮であった。5代高砂は
先代の弟子富士櫻を関脇に、さらに大関朝潮
(長岡)・小錦、関脇水戸泉らを育てた。
5代高砂(元横綱朝潮)が58歳で亡くなると、
あとを継いだのが元富士錦であった。6代
高砂(元富士錦)の定年が近づくと元朝潮
(長岡)の若松部屋と高砂部屋が併合する
カタチで一緒になった。

<元朝潮(長岡)の7代高砂>

元朝潮(長岡)の7代高砂は横綱朝青龍、
大関朝乃山、関脇朝赤龍らを育てた。7代
高砂は12月9日に定年を迎える。高砂部屋は
8代の時代を迎えようとしている。

3日続いた雨がようやくあがりました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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