九月場所があり、いくぶん間が空いたが、
引き続き4代続いた相撲部屋をみていこう。
陸奥(元霧島)部屋のルーツは井筒部屋で
 ある。井筒部屋といっても高砂部屋から分家
 独立した初代西ノ海がおこした井筒部屋まで
 は遡らない。この部屋は先代星甲實義の代に
 途切れることになった。先代星甲實義が昭和
 19年に亡くなられたことによるものである。
 先代鶴ヶ嶺道芳が二枚鑑札を申し出たが、
 認められず、部屋の力士は双葉山相撲道場に
 身を寄せることになった。

先代鶴ヶ嶺道芳が引退後、井筒部屋を復興
 した。これが陸奥部屋の始まりである。先代
 鶴ヶ嶺道芳がな亡くなると、部屋の後継をめぐ
 って弟子の元鶴ヶ嶺昭夫と元星甲昌男が争っ
 た。その結果部屋は 元星甲昌男が継ぐことに
 なった。これで一件落着といかなかった。
 遺族との話し合いがうまくいかず、井筒の
 名跡が使用できず、陸奥部屋として再スター
 トすることになった。井筒部屋は2年間で
 終わりをとげた。井筒の株は北の富士に渡っ
 た。
元星甲昌男の陸奥の定年にともない、部屋は
 弟子の星岩涛に引き継がれた。星岩涛はスロ
 ー出世で話題になり、幕内は1場所務めた
 だけの力士である。先代の弟子であるアゼン
 チン力士星誕期、星安出寿が十両になった。
 しかし、親方としての熱意が乏しく、陸奥
 部屋は弟子が少なくなり、衰退する一方に
 なった。

そこで井筒(元鶴ヶ嶺昭夫=元北の富士と株
  を交換 )部屋出身の元霧島が引き継ぐこと
  になった。数少ない弟子は喜んだという。
 弟子では霧の若を育てるも八百長嫌疑で土俵
 を去っている。ようやく霧馬山が関取になり、
 土俵で活躍している。また元青ノ里の立田川
  の定年にともない弟子を受け入れている。
 さらに元逆鉾の井筒が亡くなると、鶴竜と
  数人の弟子を引き受けて今日にいたっている。
秋晴れが続いています。
 興味深いテーマをこれからもお届けします。

 
		 
		 
			 
			 
			 
			 
			 
			 
			