32歳、遅咲きの横綱琴櫻は短命であった。
横綱在位8場所、皆勤は6場所であった。
横綱優勝は1回であった。それだけに対大関
戦は少なく、8勝10敗(1不戦敗含む)の
成績であった。最多対戦は大関大麒麟で3勝
3敗(1不戦敗含む)であった。次が大関
貴ノ花で3勝2敗であった。大関輪島には
2敗であった。大関北の湖とも対戦し、1勝
している。
輪島が横綱に昇進したときは、先輩横綱北の
富士・琴櫻の晩年であった。横綱の交代期で
あった。輪島はマシーンのような強さ。羽黒
山の堅実さ、強さと安芸ノ海のうまさをあわ
せたのが、輪島の相撲。すり足、顎があがら
ない、腰を落として攻める。大胆な中に緻密
さがある、攻撃から防御、防御から攻撃と
相撲にリズムがある。輪島の強さの一番の
ポイントは腰の中心点に寸分のくるいもない
ということだ。投げを打つときの体の開きは
天才的。と評価されてきた。
横綱輪島の対大関戦は惜しくも(?)99番で
100に届かなかった。成績は69勝30敗(優勝
決定戦2勝を含む)であった。大関貴ノ花
とは36番取って24勝12敗であった。6連勝
したことがあった。同日大関に昇進した両者
であったが、差がついてしまった。小兵大関
旭國に強かった。14勝3敗で、7連勝して
いる。北の湖には3勝1敗(優勝決定戦1勝
を含む)、三重ノ海には意外と苦戦して11勝
8敗(優勝決定戦1勝を含む)であった。
北の湖は21歳で横綱になった。攻撃相撲で、
憎らしいほど強いといわれた。横綱在位63場
所、そのうち皆勤は51場所であった。43場所
連続横綱皆勤の記録をもち、その間に5連覇、
20回優勝している。
横綱北の湖の対大関戦は119番に及んだ。94勝
25敗(優勝決定戦2勝2敗を含む)と強さを
発揮した。その中に大関21連勝がある。昭和
52年五月場所、大関若三杉に負けた翌日大関
貴ノ花に勝ってから昭和53年三月場所千秋楽
大関若三杉に負けるまで続いた。詳細は以下
である。
●若三杉
○貴ノ花
○魁傑
○三重ノ海
○旭國
○貴ノ花
○若三杉
○魁傑
○三重ノ海
○貴ノ花
○若三杉
○旭國
○三重ノ海
○貴ノ花
○若三杉
○旭國
○三重ノ海
○若三杉
○旭國
○貴ノ花
○三重ノ海
○旭國
●若三杉
大関貴ノ花には32勝6敗(優勝決定戦2敗を
含む)で15連勝している。大関旭國に17勝
1敗とほとんど負けなかった。12連勝して
いる。大関三重ノ海に16勝3敗で15連勝して
いる。大関琴風に9勝と1度も負けなかった。
対戦した大関は11人に及んだ。
素質、素材はすばらしかった2代目若乃花は、
期待ほど活躍できなかった。横綱在位28場所、
横綱皆勤20場所であった。同部屋の大関貴ノ
花戦がなかったせいもあり、大関戦は17勝
6敗であった。対戦した大関は4人であった。
大関三重ノ海に5勝2敗、大関旭國に4勝
2敗、大関琴風に3勝2敗、大関増位山に
5勝と1度も負けなかった。
横綱三重ノ海は横綱在位8場所、横綱皆勤
4場所と短命に終わっただけに、対大関戦は
限定された。大関貴ノ花に3勝1敗、大関
増位山に1勝と数字的に少なかった。
大鵬から三重ノ海までの対大関戦の成績を
まとめた表が以下である。
この項目続く)
阿炎結婚のニュースがスポーツ報知に掲載されていました。
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