栃錦が引退したのは、昭和35年五月場所の
ことであった。昭和34年五月場所から昭和
35年三月場所のここ1年間で81勝9敗という
驚異的数字をあげながら、昭和35年五月場所
初日、2日目と連敗するとあっさり引退して
しまった。横綱はもうだめだ、となる前に桜
の花が散る如く、綺麗にやめる。という師匠
春日野(元栃木山)の教えを貫いた。
厳しい相撲評論家に彦山光三氏がいた。若乃
花を異能力士と呼んだのは彦山氏であった。
その彼が栃錦の引退を受けて、栃錦は古今
何番目の力士か大相撲誌に考察している。
彦山氏の頭の中には横綱力士の理想像ができ
てしまった。として古今10大力士をあげて
いる。
いる。
谷風
小野川
雷電
稲妻
陣幕
初代梅ヶ谷
常陸山
太刀山
栃木山
双葉山
雷電は横綱ではないが、横綱級の力士として
いる。ただ、横綱の意味は時代によって異な
る。詳細は2017年8月10日からスタートした
横綱10大史を読んでいただきたい。雷電が
横綱でなかったのは、横綱が後世まで続く
制度として確立されていなかったからで
ある。
ある。
栃錦の評価については、まず名人から始まっ
ている。ふさわしい時期として昭和24年-
26年頃をあげている。昭和27年夏・秋ごろは
現代版逆鉾と推称した。だが、栃錦が大関に
昇進するに至って、ついに栃錦は逆鉾をのり
こえたと評価した。
逆に栃錦に欠けていたのは出足である、と
指摘している。相撲は守りだけでは勝てない。
この肝心かなめの出足不足が根本的欠陥で
あると述べている。特に師匠の栃木山は第一
級の出足の持ち主であっただけに惜しまれて
いる。
ただ、栃錦の勝負に対する執念は高く評価
している。「一度かみついたなら、かならず、
相手をかみ殺さずにはおかない、いわば、
”マムシ”のような強(きょう)かんなど
”根性”にもとづく相撲”執念”に終始した
こと以外にない」とまで記している。
そのうえで以下の名前をあげている。
雷電
谷風
梅ヶ谷(初代)
常陸山
太刀山
双葉山
稲妻
栃木山
小野川
陣幕
これが第一流
続いて
鬼面山
梅ヶ谷(二代)
大錦
小錦
玉錦
羽黒山
東冨士
栃錦
となり、栃錦の古今強豪ランキングは18番目
というのが、当時の彦山氏の見解なのである。
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