大鵬は佐田の山・栃ノ海・栃光・豊山・北葉山の5大関を
向こうにまわして稽古をした。栃若時代の稽古は目を背け
たくなるほど厳しかったという。戦前はさらに厳しかった
と稽古を見た方は言う。大相撲は昔にさかのぼればのぼる
ほど稽古は厳しいという不思議な一面をもつ。それはさて
おき相撲の稽古が厳しい時代があったのは間違いない。
戦前は男は軍隊、女はお産というのがこの世の最大の
苦痛といわれていた。今ではありえないが、相撲取り
とて兵隊として軍に引っ張られていたのだ。吉葉山は
1935(昭和17)年幕下時代に召集令状を受け取り、復員
したのは約4年後であった。107キロあった体重が68キロ
まで減少した。
新弟子のころは兄弟子によく殴られたという出羽錦。それも
手で殴ると痛いから下駄で殴られたという。そんな出羽錦
がこんなことを語っていた。「当時相撲社会の修行が
勤まったらどこでも勤まったというくらい厳しかった
もんですから、兵隊に行きまして、こんな楽で何がつらい
んだ、という気持ちでしたね」
さて現代の稽古はどのレベルだろうか。
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”土俵の目撃者”
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