輪島台頭期から北の湖時代をみていく。
年 場所 痛恨力士 敗戦 優勝者 成績
1977年 九月 大関旭國 北の湖 横綱北の湖 15戦全勝
1978年 五月大関若三杉 三重ノ海 横綱北の湖14勝1敗
1978年 七月 横綱輪島 北の湖 横綱北の湖 15戦全勝
1979年 七月大関三重ノ海 栃赤城 横綱輪島 14勝1敗
1981年 一月横綱北の湖 朝汐 関脇千代の富士14勝1敗
ピラニア旭国は大関になって9場所目。これまでの
8場所は10勝5敗が2度、6場所は1ケタ勝利で
大関として満足のいく場所はなかった。この場所は
初日から13連勝と好調。怪童北の湖も13連勝で両者
相星でぶつかった。優勝経験のある北の湖が9度目の
優勝を全勝で飾った。
大関若三杉は後の二代目若乃花である。直前2場所は
13勝2敗で横綱を狙える力をつけてきていた。14日目
1敗の若三杉は全勝の北の湖を倒し、両者1敗で並び、
千秋楽を共に勝利した両者は優勝決定戦でぶつかった。
北の湖が勝利して12度目の優勝を3連覇で達成した。
その翌場所輪島と北の湖が14日目全勝同士で激突した。
輪島はこの年(1978年)不調、反面北の湖は3連覇中、
勢いの差がそのまま出て、北の湖が4連覇を達成した。
13回目の優勝でこの瞬間、輪島の12回を抜いた。
大相撲は北の湖時代に入っていた。
一度は大関を陥落し、落ちた直後の場所10勝で大関に
復帰した三重ノ海が横綱を狙う立場になるとは大勢の
方が予想できなかったのではないだろうか。千秋楽
1敗の三重ノ海は横綱をかけて全勝の輪島に挑んだ。
この一番を制した三重ノ海が綱へ望みをつないだ。
しかし、優勝決定戦では輪島が勝利し、久々の優勝を
達成した。
小さな体から派手な投げをうつ千代の富士は脱臼癖が
あり、入幕後は番付を常に上下させていた。脱臼癖を
克服するために筋力トレーニングで筋肉の鎧をつける
とともに前褌をとって前に出る相撲に変えて地力を
つけてきた。張出横綱の北の湖は千秋楽、大関貴ノ花
引退、大関増位山は同部屋のため関脇千代の富士戦が
組まれた。1敗北の湖対全勝千代の富士戦は本割は
北の湖が制するも、優勝決定戦は千代の富士が
さっそうと勝利し、初優勝を成し遂げた。
<写真は北の湖>