隆の里は遅れてきた男だった。青森から2代目若乃花とともに夜行
列車に乗って上京した。いわば隆の里と2代目若乃花は同期であっ
た。出世は差がついた。2代目若乃花が横綱になった昭和53年五月
場所後、隆の里のその時点での最高位は前頭筆頭だった。

隆の里は大関から横綱に昇進した昭和63年に78勝12敗の成績をあげ
ている。優勝は2回であった。新横綱で15戦全勝優勝を達成してい
る。2回の優勝はいずれも千代の富士との相星決戦を制しての優勝
だった。たった1回の年間72勝以上の成績だったが、78勝とハイレ
ベルな結果となった。
双羽黒は休場がらみで年間72勝以上は1回もできなかったまま相撲
界を去った。原因は師匠立浪(元安念山)との対立だった。前代未
聞の出来事だった。
北勝海は2回年間72勝以上を達成している。最初は大関から横綱に
なった昭和62年である。この年74勝16敗の成績を上げた。優勝は2
回である。

横綱2年目は腰部椎間板損傷、腰部椎間板ヘルニア・強直性脊椎炎
疑などで3場所連続全休した。明けて平成元年72勝18敗の成績であ
った。ぎりぎりの数値であった。優勝は2回だった。
大乃国が千代の富士の連勝を止めたとき「おれだって横綱だ」と言
った。だが、大乃国は横綱でもあまり強い横綱ではなかった。年間
72勝以上は皆無であった。ただカチンコ横綱ではあった。