大相撲

蒼国来の空白期

<最後の一番 対戦相手は千代翔馬(右)>

東幕下筆頭を最後に蒼国来が引退した。部屋
の荒汐(元大豊)親方の定年に伴い、部屋を
継いで新師匠となった。中国モンゴル自治区
出身では初の親方である。前相撲は2003年
九月場所である。序ノ口から幕下までは1年
後で早かった。だが、それから1年間三段目
に落ち、再幕下後は4年かかり、十両入り
した。結局序ノ口から6年1場所かかって
新十両になった。荒汐部屋創立8年目、初の
関取であった。

<新十両>

十両は4場所で突破して、入幕した。蒼国来
の入幕3場所後に事件はおきた。2013年一月
場所後八百長が発覚したのだ。いきさつは
こうだ。前年の野球賭博で力士の携帯を調べ
ていた警察が消したメールを復元したところ、
八百長の内容がでてきたのである。2月2日
毎日新聞がスクープした。

この問題はもっと早くから手をつけるべき
だった。相撲ファンにもさまざまな噂が耳に
入ってきていた。許しがたい横綱の八百長も
聞こえてきた。歴代理事長は手をつけようと
しなかった。元若乃花の二子山理事長が非
公開で力士全員、師匠に訓戒したが、効果
はなかったということだ。八百長は昔から
あった。

元NHKアナはこう語っている。スポーツ
志望アナは野球担当か大相撲担当かを最初
選択できる。そのとき指導係の先輩から「お
前、あらかじめ勝負がわかっているものを
命がけで中継できるのか」と言われ、野球・
ほかのスポーツを選んだという。

八百長に関与したと思われる力士、親方が
引退勧告、解雇、2年間の出場停止などで
二十数名が処分された。そのなかに蒼国来が
いた。しかし、蒼国来は八百長を認めず、
裁判へ訴えることになった。やがて部屋には
いられなくなった。運動はできても相撲の
稽古はできなかった。

蒼国来を支援する方々が両国、名古屋の市役
所駅前で著名活動をしていた姿は忘れられ
ない。配布された紙には「裁判の結果がどの
ようになっても日本を恨むことはありません」
という趣旨が掲載されていた。この間、蒼国
来が土俵を離れてから12場所になっていた。
蒼国来の土俵歴の空白期である。

<復帰で祝福される蒼国来>

蒼国来は苦労した。蒼国来が復帰できたのは、
協会が八百長は認められないとの判決に、
控訴しなかったからである。それでも空白が
長かったので、1場所準備期間とした。空白
期は13場所に及んだ。復帰した2013年七月
場所は誰よりも注目を集めた。その後7年弱
土俵を務めた。引退時は36歳であった。第2
の相撲人生に幸あれと願わずにはいられない。

<復帰直後土俵へ>

雪の日です。
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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