大相撲

土俵が広がったとき

2019年6月13日

相撲の特徴に土俵がある。出たら負けになる。
こういう格闘技はほかに類がない。柔道、
レスリングでも競技範囲は限られているが、
出たら即負けはない。ボクシングにいたって
はロープで囲み、リングから出られないよう
になっている。土俵が俵で埋め込まれている
点も特徴である。ここに足がかかると踏ん
張れる。線でひいた円ならばこうはいかない。
常陸山太刀山
<13尺土俵での攻防 ブロマイドより>

江戸、明治、大正と土俵は13尺(約3メー

トル94センチ)であった。谷風、雷電、梅ヶ
谷、常陸山、太刀山、栃木山は13尺土俵の
強豪であったわけである。その土俵が突然
広がることになった。15尺(約4メートル
55センチ)土俵に変わったのは昭和6年4月
のことである。
太刀山、
<太刀山のブロマイド>

きっかけは4月29日の天皇誕生日に天覧相撲
を奉仕したことである。天皇陛下に十分な
土俵の攻防を楽しんでいただこうという趣旨
であった。突然のことに力士は戸惑った。
体にしみ込んだ13尺土俵がいきなり15尺に
広がり、変わることになったのだから。

土俵が広くなることは、当然突き押し相撲、
かつ寄りに不利である。天覧相撲は23番おこ
なわれ、突き押し、寄り切り、吊り出しは
9番、うっちゃりなどの逆転技が3番、土俵
内で決まった勝負は11番であった。やはり、
土俵の外に出す相撲の不利が数字に表れて
いる。
1705風景 027
<15尺土俵>

本場所ではその直後の昭和6年夏場所から
15尺土俵が使用されるようになった。この
場所は小結武蔵山が優勝している。1場所
だけ進駐軍によって、戦後の昭和20年秋場所
の土俵が16尺になったことがあった。その後
は15尺土俵で現在に至っている。

現代の重量級大相撲にとって、15尺土俵は
適切なのか、狭いのか。草相撲を取った経験
では特に狭い、広いは感じなかった。草相撲
仲間に突き押し相撲がいなかったせいかも
しれない。ただ、これだけは言える。国技館
の4人マス席は狭く感じることは間違いない。
ふかふかの座布団にすわってみました。
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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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