大相撲

大関陥落 琴奨菊の復帰はあるか

2017年3月6日

一月場所、琴奨菊はついに勝ち越せず、大関
陥落が決まった。1年前の優勝の栄光は、
もはや遠い昔になってしまった。琴奨菊は
立ち合いから一気のがぶり寄りで攻める相撲
である。最近は出足がとまる、あるいはまわ
りこまれる相撲になると勝てなくなってきて
いる。わかりやすいといえば、これほどわか
りやすい相撲もない。
161113初日十両 597
<琴奨菊>
 
問題は三月場所である。10勝以上すれば、
大関に復帰できる規定がある。この規定が
できたのは、昭和44年の七月場所である。
それ以前は3場所連続負け越しであった。
つまり、琴奨菊も三月場所で10勝以上すれば、
大関に復帰できるのである。

それでは、この規定で復帰した大関はどれ
くらいいるのだろうか。昭和44年七月以降、
大関から陥落した力士は15人(琴奨菊は16
人目)。それが以下である。そのうち、
10勝以上の規定で復帰したのは、4人で
ある。
大関陥落A
最初に復帰したのは、三重ノ海である。三重
ノ海は関脇で優勝して大関に昇進したが、
8勝-2勝-2勝とわずか3場所で大関を
陥落した。関脇で10勝をあげて大関に戻った。
ただし、三重ノ海はそこからが違った。強さ
と安定を増して横綱に昇進したのである。こう
したケースは三重ノ海一人である。

2人目は貴ノ浪である。大関時代は武蔵丸と
好勝負をしたり、同部屋貴乃花と2度の優勝
決定戦を制したりと実績ある大関だった。
しかし、大関35場所務めて関脇に降格した。
10勝で復帰したが、すぐに陥落し、再び大関
に戻ることはなかった。

3人目は武双山である。大関に上がったとた
ん全休と負け越しで陥落した。10勝で復帰
して長く大関を務めた。だが、大関での優勝
はなかった。4人目は栃東である2度落ち、
2度とも復帰した珍しいケースである。新
大関優勝や朝青龍との相星決戦を制しての
優勝など見せ場をつくった。
06初 千秋楽三役以降 001栃東優勝インタビュー
<大関に2度復帰した栃東>
 
大関降格後0からやり直して再び昇進した
のが、魁傑である。師匠の花籠(元大ノ海)は、
魁傑を3人目の横綱にと期待していたが、
腰高と窮屈な相撲で大成しなかった。ただ、
クリーンな力士であった。魁傑の「休場は
試合放棄」は、負けが込むと休場する横綱・
大関の慣習に対して、新鮮な響をもってファ
ンに受け入れられた。
170116九日目幕内 922
<優勝稀勢の里に土をつけた琴奨菊>
 
さて、琴奨菊は彼らに続くことはできるのだ
ろうか。心配な点は33歳という年齢と馬力
相撲に陰りが見える点である。しかし、先場
所優勝した稀勢の里を倒しているのだから
最後の力をふりしぼって15日間を戦い抜いて
いただきたい。

水戸に1年半住んでいたことがあります。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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