大相撲

横綱の6場所連続(1年間)好成績1

2016年12月13日

今年の年間最多勝は稀勢の里の69勝21敗だっ
た。これは一月場所から十一月場所までの
成績だが、1年の最初をいつにもってきても
いいわけで、五月場所から三月場所、九月
場所から七月場所も1年間に変わりはない。
稀勢の里が仮に一月場所、12勝3敗の成績を
あげたら、三月場所から一月場所で72勝18敗
の横綱並みの成績になる。そこで横綱の1年
間6場所連続の好成績を調べてみた。

年6場所がスタートしたのは、昭和33年で
ある。名古屋金山体育館でおこなわれた七月
場所が本場所に加わった。したがって前年の
九月場所以降が調査の対象となる。横綱では
栃錦以降になる。また、横綱時代の成績だけ
ではなく、大関、場合によっては関脇・小結
あるいはそれ以前の好成績も入れた。カウン
トしたのは1場所平均12勝となる72勝及び
それ以上の数字である。ただし 休場すると
1年間6場所連続の好成績は中断すること
になる。栃錦から朝潮までの6場所連続
好成績が以下の表である。
栃若A
昭和32年九月場所時点で、栃錦はすでに横綱
だった。それ以前すでに5回優勝している。
栃錦は途中参加というハンディを背負っての
6場所連続好成績となる。昭和32年九月場所
から翌年の七月場所まで73勝17敗をあげた。
しかし、この後途中休場、全休が続いて6場
所連続好成績は中断することになる。

栃錦が再び6場所連続好成績をあげたのは、
昭和34年十一月場所である。77勝13敗。この
翌場所、翌々場所81勝9敗という80勝超えを
達成した。しかし、2度目の81勝後の翌場所、
初日、2日目に連敗すると突然引退してしま
った。師匠元栃木山の春日野に言われた「横
綱は桜の花が散るようにきれいにやめる」を
実行した。栃錦の引退ほど潔い明るい引退は
なかった、と小坂秀二氏は記している。
栃若!
<栃若時代 日本スポーツ出版社刊>
 
昭和32年九月場所、若乃花は大関だった。
しかし、強豪大関だった。最初の1年6場所
連続の好成績は大関3場所、横綱3場所の
とき72勝18敗で達成した。ここから9場所
連続で72勝超えを成し遂げている。昭和35年
一月場所の休場でストップした後は、これ
以降6場所連続フル出場はなくなった。

朝潮は休場の多い横綱だった。横綱として
6場所連続出場した唯一の成績が63勝27敗
である。自身最高成績は大関5場所、横綱
1場所の69勝21敗だった。朝潮が弱い横綱
だったことはこんな記録の側面からも読み
取れる。

新しいカメラの購入予定あり。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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