大相撲

■春9日目 歴史から見た髷をつかんでの反則負け

2015年3月16日

勢対千代鳳戦で髷をつかんだとして物言いがつき、勢が
反則負けとなった。最近髷をつかんでの反則が目立つ
ようになった。横綱にさえあった。相撲規則の禁手には
取組に次の八つが禁じられ、使うと反則負けになる。
と記され、その中に相手の髪の毛を掴むこと書かれている。
以前は故意にという言葉があったが、最近なくなった
ことは相撲ファンならご存知であろう。

150316九日目幕内 156
<千代鳳対勢>

負けを承知で故意につかむ者はいない。また、故意か
否かは人の心の問題だから第3者が判断することは
難しい。だから故意にという言葉がはずされた。また、
髷をつかむことが勝負に直結しているにもかかわらず、
故意でないから髷をつかんでも勝ちということがあっては
ならない。

150316九日目幕内 174
<審判協議の結果勢の反則負け>

ところが、派手に髷をつかみながら勝った力士がいた。
1964(昭和39)年十一月場所12日目の海乃山対荒波戦で
ある。この一番荒波が3度立ちしぶったあと、ようやく
立ち上がった。突っ張り合いから押して出る海乃山を
荒波がはたいた。そのとき荒波の指が海乃山の髷にかかり、
2,3度引っ張って引き倒してしまった。元結が切れ、
ざんばら髪となった海乃山は髷をつかんだと訴えた。

しかし、行司の軍配は荒波にあがり、物言いがついた。
長い協議の結果軍配どおりになった。あれが反則負けに
ならないなら反則負けなど存在しないとまで批判された。
そして、このことが思わぬ結果を招いた。検査長(現在の
審判長)を務めていた勝負検査役代行が場所中謹慎処分に
なった。それなら荒波の反則負けにすべきではという声に
前例がないとして覆ることはなかった。

今なら文句なしに海乃山の勝ちだが、歴史のなかには
不合理な一面が必ずあるものだ。「故意に」が相撲規則
から消えたのはやむを得なかった。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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