関脇優勝誕生の背景11

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北の湖が浮上したとき。それは昭和49年一月場所である。北の湖は
若い(20歳)というだけで、これまで優勝争いをしたことがなかっ
た。10勝が最高成績だった。この場所の優勝候補は連続優勝してい
た横綱輪島であった。

輪島

ほかに横綱は北の富士・琴櫻がいたが、晩年であった。一月場所は
ともに途中休場していた。大関は貴ノ花・大受・大麒麟・清國がい
た。清國は休場して場所中に引退している。ほかの大関は2ケタ勝
利があげられない状態だった。

1月6日初日の松の内興業だった。そんななかで初日いきいなり横
綱輪島と関脇北の湖が対戦した。東正横綱は小結戦が通常だった。
勝負はまさかの結果で、北の湖が寄り切りで勝ってしまった。輪島
は2日目も富士桜に敗れ、2連敗スタートとなった。

だがさすがに輪島でここから12連勝している。しかし北の湖も負け
ない。北の湖を倒したのは魁傑だった。11日目のことだった。それ
でも、1差は縮まらず北の湖が14勝1敗で初優勝を成し遂げた。

北の湖

北の湖は先場所最終盤ケガのなか出場して10勝したことが大きかっ
た。場所後大関昇進を決めた。輪島と貴ノ花が同日大関に昇進した
ことから貴輪時代と騒がれた。だが、歴史は別な方向に動きだした。
輪島と北の湖が対抗する輪湖時代へと向かいだした。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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