10位 北勝海66休(平成3年5月~4年3月)
不戦敗を含め、66休は引退前の1年間で記録した。全休3場所、途
中休場2場所であった。平成4年五月場所前引退している。北勝海
の引退で横綱不在の時代が来た。
9位 北の湖67休(昭和57年11月~58年9月)
怪童北の湖は横綱43場所連続フル出場の記録を持つ。その北の湖も
晩年に入り休場が目立つようになった。全休3場所、途中休場3場
所だった。昭和59年五月場所に最後の優勝を全勝で飾っている。そ
の4場所後、新国技館で2日取って引退した。
8位 隆の里68休(昭和59年11月~60年9月)
おしん横綱隆の里は同期の2代目若乃花より遅れて来た力士だった。
だが一時期とはいえ、千代の富士に対抗した存在だった。新横綱で
全勝優勝している。最後の優勝から5場所目、全休2場所、途中休
場3場所している。その翌場所引退した。
7位 柏戸69休(昭和39年5月~40年3月)
全休3場所、途中休場3場所と1年間休場続きであった。このあと
4年くらい横綱を務めたが、2場所しか休場していない。昭和43年
ごろから成績が思わしくなくなったが、後継の横綱のめどがたたず
辞めにくかった。それでも限界で「大鵬関すまない」という心境の
中、昭和44年七月場所限りで引退した。
6位 鶴竜69休(令和2年7月~3年3月)
鶴竜はコロナウイルスの1場所中止があり、実質5場所であった。
そのため、柏戸と同じ1年間の休場数だが、上位においた。休場続
きだが、帰化にまだ時間がかかっていたという実情があった。年寄
鶴竜となるには日本国籍が必要だった。日本国籍を取得できたのは
令和2年12月であった。翌年一月場所全休、三月場所10休後引退し
た。
(この項目続く)