協会に要求11ヶ条をつきつけた力士会と協会幹部。両方に
解決策はなく、時間だけがいたずらに過ぎていった。
そこで、双方が納得できる調停役を立てることになった。
調停役に選ばれたのは警視総督赤池濃であった。赤池は
両方の話を聞いたうえで、まず、本場所を開き、場所後に
折衝案を出すこととして収束した。
しかし、調停にあたった横綱・大関・立行司7人の代表
大錦はこれでは自分の立場はないと深刻にとらえた。
1月18日、力士と協会の和解の宴会が日比谷で開かれた
が、大錦は宴会場別室で自ら髷を切り、死を賭して解決に
あたることができなかった責任を誰も予期できないカタチで
とって謝したのであった。31歳、取り盛りの横綱が自ら髷を
切って相撲界を去ることなど前代未聞であった。
大錦はこれでは自分の立場はないと深刻にとらえた。
1月18日、力士と協会の和解の宴会が日比谷で開かれた
が、大錦は宴会場別室で自ら髷を切り、死を賭して解決に
あたることができなかった責任を誰も予期できないカタチで
とって謝したのであった。31歳、取り盛りの横綱が自ら髷を
切って相撲界を去ることなど前代未聞であった。
場所後、次の興行から1日増やして、養老金(退職金)を
幕内5割増し、十両2割5分増しとした。また従来8場所
務めなければなかった資格が十両を1場所でも務めれば
資格ができるとした。しかし、不十分な結果は後に春秋園
事件につながることとなった。
解決案が決定すると同時に協会幹部は総辞職し、これまで
取締だった出羽海は再当選することができなかった。彼が
取締相談役としてだが、復活するのは1925(大正14)年の
ことである。
ご愛読まことにありがとうございます
よろしければ下部2カ所をクリックして応援してください。
”土俵の目撃者”
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑