◆昭和戦後
2代目玉乃海 最高位関脇
荒法師と呼ばれ、金色のまわしで戦後最初の九州本場所で優勝した。
ただし、横綱・大関戦は皆無であった。栃錦をよく負かし、11勝16
敗の対戦成績だった。片男波部屋をおこし、横綱玉の海を育てた。
玉乃海には空白の約9年がある。ことのいきさつはこうだ。戦時中
の1940年、騒動は上海巡業で起こった。酒がはいった幕下玉乃海が
ひょんなことから喧嘩になって憲兵が駆けつけた。軍刀の鞘で玉乃
海を殴ったため、玉乃海が憲兵をたたきのめしてしまった。応援部
隊が銃をかまえる事件にまで発展した。

相手が憲兵なので師匠の二所ノ関(元玉ノ海)と大関羽黒山が必死
に詫びをいれどうにかことを収めた。しかし、憲兵側から協会破門
という条件がつけられ、玉乃海は協会を去らざるを得なった。復帰
したのは1950年夏場所だった。幕下からの再出発だった。
初代若ノ海 最高位小結
小柄ながら小結を3場所務めた。新入幕から連続敢闘賞を受賞。吉
葉山から金星を獲得したことがある。内掛け、掛け投げなど多彩な
技で活躍した。
福ノ海 最高位前10
初代豊ノ海 最高位前18
栃ノ海 最高位横綱
177センチ、入幕時は88キロ、大関昇進時102キロ、最高でも110キ
ロと小兵であった。技能賞6回の技能派。大鵬・柏戸の大型力士に
割ってはいった。頭からあたって、両前褌を取り、しぼって拝むよ
うな寄り、投げを得意とした。切れ味鋭い出し投げはお手本であっ
た。栃錦よりうまいと言われた。

栃ノ海は横綱として勝てない土俵が続いた。椎間板ヘルニアの再発
と右上腕膜筋肉断裂で満足いく土俵が務められなくなり、28歳で引
退した。本人は30歳引退を目指していたが、届かなかった。
朝ノ海 最高位前8
(この項目続く)