大正は約15年しかないが、1場所2度以上の休場力士が目立つ。引
き続きみていこう。
大正4年夏場所 前1金ノ花
○●ややや○○●やや
のちに大戸平に改名し、この名で通っている。幕内在位21場所、最
高位関脇だった。横綱西ノ海・大錦を倒し、横綱栃木山と預かり勝
負となった。
大正6年春場所 前12若嶋
預●●やややや引き分けやや
前回登場した寒玉子が改名したものである。一人の力士が2回登場
するのは珍しい。
もう一人いる。前17大門岩
や預○●●●やややや
新入幕の場所であった。幕内在位17場所、最高位関脇。勝ち越して
も、勝ち越しても関脇にあがれず、ようやく上がれた。関脇で勝ち
越しても小結に落とされた。
大正7年春場所 前9石山
や○ややや○●ややや
1場所3度休場した。翌場所引退している。幕内在位18場所、最高
位前頭筆頭だった。
大正8年夏場所 前8土州山
ややややや●やややや
幕内在位24場所、最高位前頭筆頭だった。人気力士であった。また、
徳俵で仕切ることがあった。
大正12年夏場所 前15朝見富士
ややややや○○○●やや
改名して朝響としての名のほうが通っている。幕内在位20場所、最
高位前頭2枚目だった。横綱宮城山の太刀持ちを務めた。
もう一人いる。前10陸奥ノ山
や●○○●●●●ややや
改名して真砂石(まさごいわ)となった。2代目真砂石である。幕
内在位11場所、最高位前頭5枚目。引退後はブラジルで相撲の指導
にあたった。
(この項目続く)