大相撲

逸ノ城引退の読み!?

幕内に復帰した逸ノ城が突然引退した。先場所朝乃
山戦を制し、14勝1敗で十両優勝しただけに意外な
感じがした。理由は腰痛だという。確かに力士は腰
との戦いがある。マッサージを受けながら土俵にあ
がる力士がいるほどである。

<逸ノ城>

しかし、突然というのが何とも気になる。力道山が
自ら髷を切って廃業したのは昭和25年秋場所前だっ
た。やはり突然だった。理由は肺臓ジストマという
意外な病だった。この時の廃業の真相については、
力道山も師匠のニ所ノ関(元玉ノ海)も一言も語る
ことはなかった。

昭和26年12月に協会から力士会に力道山の復帰を提
案している。土俵がもうひとつ盛り上がらず、なん
とか挽回したかった。時間をかけたが、最終的に力
士会が反対で一致したため力道山の復帰はならなか
った。その後力道山がプロレスで日本中を熱狂させ、
わかしたのは周知の事実である。

<プロレス醜聞(スキャンダル)100連発 (日本スポーツ出版社刊>

だから逸ノ城の腰痛といっても額面通りに受け取っ
ていいのか、判断に迷う。まして逸ノ城は帰化して
いる。しかし、現状は年寄株がないため協会を離れ
ることになる。それではなんのための帰化だったの
か。

逸ノ城と師匠湊(元湊富士)の不仲はその後どうな
ったのか。一時は代理人を通してしか話ができない
と報じられた。2場所前の出場停止はコロナ禍での
外出禁止期間の外出によるものだ。

<湊>

親方と不仲で引退した力士はいる。天竜とニ所ノ関
(元金剛)、曙と東関(元高見山などである。今、
逸ノ城と湊親方の仲が気になるが、考えすぎだろう
か。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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