優勝30回超えは3人しかいない。その一人が、
61歳の若さで亡くなった千代の富士である。
当初は千代の富士の優勝回数が、30回を超え
ることを予想できなかった。達成できた要因は
力士生命の長さであった。実に36歳前まで現
役であった。年6場所では考えられない年齢
までベストを尽くした。未だに引退するときの
「体力の限界」はインパクトのある本音として
記憶に残っている。
力士生命の長さであった。実に36歳前まで現
役であった。年6場所では考えられない年齢
までベストを尽くした。未だに引退するときの
「体力の限界」はインパクトのある本音として
記憶に残っている。
千代の富士の初優勝は25歳のときである。そ
れから約10年第一人者として時代を築いてき
た。その反面、千代の富士の陰で次点に甘ん
じざるを得なかった男が数多くいた。それを
まとめたのが、下記の表である。なお、次点
は複数いる場合、上位力士を記した。中位以
下の横綱・大関との対戦のない次点は今回な
かった。
湖である。時代は北の湖時代から千代の富士
時代に変わりつつあった。朝汐は大関になる
前だが、2度優勝決定戦を行い敗退している。
ちなみに千代の富士は6度優勝決定戦を行っ
ているが、1度も負けていない。
千代の富士の優勝中期は大乃国と北尾=双羽
黒が4度次点で登場する。両者ともここ一番で
勝てなかった。大乃国は結局優勝を2回しか
できなかった。北尾=双羽黒にいたっては、つい
に1回も優勝がでずに、体力の限界までいかず
にやめてしまった。
勝てなかった。大乃国は結局優勝を2回しか
できなかった。北尾=双羽黒にいたっては、つい
に1回も優勝がでずに、体力の限界までいかず
にやめてしまった。
後期は弟弟子の北勝海が、目立つ。直接対戦
がないだけに、千代の富士以上の成績をあげ
るしかなかった。その点は双葉山・羽黒山の
関係に似ていた。ただ、優勝決定戦で両者が
1度だけ対戦している。この一番は兄弟子の
貫禄勝ちとなっている。
千代の富士の陰で最も苦労したのが、旭富士
である。12勝-11勝-14勝優勝-12勝-12勝
で横綱になれなかった。のみならず、その後
12勝-12勝-14勝-13勝-13勝でも横綱に
昇進できなかった。この2つの成績は、数字だ
けなら稀勢の里以上である。最後は連続優勝
昇進できなかった。この2つの成績は、数字だ
けなら稀勢の里以上である。最後は連続優勝
したが、連続優勝を決定した千秋楽の千代の
富士戦は、ねじ伏せて旭富士が勝った。旭富
士はようやく横綱に昇進できた。
今となっては、千代の富士の活躍した時代を
なつかしく思い出す。
テレビの千代の富士特集を全部見るつもりです。
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よしなに
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