大相撲

千代の富士の陰に隠れた男達

2016年8月2日

優勝30回超えは3人しかいない。その一人が、
61歳の若さで亡くなった千代の富士である。
当初は千代の富士の優勝回数が、30回を超え
ることを予想できなかった。達成できた要因は
力士生命の長さであった。実に36歳前まで現
役であった。年6場所では考えられない年齢
までベストを尽くした。未だに引退するときの
「体力の限界」はインパクトのある本音として
記憶に残っている。
千代富士A
<千代の富士>
 
千代の富士の初優勝は25歳のときである。そ
れから約10年第一人者として時代を築いてき
た。その反面、千代の富士の陰で次点に甘ん
じざるを得なかった男が数多くいた。それを
まとめたのが、下記の表である。なお、次点
は複数いる場合、上位力士を記した。中位以
下の横綱・大関との対戦のない次点は今回な
かった。
千代A
千代の富士の優勝前期で目に付くのは、北の
湖である。時代は北の湖時代から千代の富士
時代に変わりつつあった。朝汐は大関になる
前だが、2度優勝決定戦を行い敗退している。
ちなみに千代の富士は6度優勝決定戦を行っ
ているが、1度も負けていない。

千代の富士の優勝中期は大乃国と北尾=双羽
黒が4度次点で登場する。両者ともここ一番で
勝てなかった。大乃国は結局優勝を2回しか
できなかった。北尾=双羽黒にいたっては、つい
に1回も優勝がでずに、体力の限界までいかず
にやめてしまった。
大乃国!A
<大乃国>
 
後期は弟弟子の北勝海が、目立つ。直接対戦
がないだけに、千代の富士以上の成績をあげ
るしかなかった。その点は双葉山・羽黒山の
関係に似ていた。ただ、優勝決定戦で両者が
1度だけ対戦している。この一番は兄弟子の
貫禄勝ちとなっている。
北勝海!A
<北勝海>
 
千代の富士の陰で最も苦労したのが、旭富士
である。12勝-11勝-14勝優勝-12勝-12勝
で横綱になれなかった。のみならず、その後
12勝-12勝-14勝-13勝-13勝でも横綱に
昇進できなかった。この2つの成績は、数字だ
けなら稀勢の里以上である。最後は連続優勝
したが、連続優勝を決定した千秋楽の千代の
富士戦は、ねじ伏せて旭富士が勝った。旭富
士はようやく横綱に昇進できた。

今となっては、千代の富士の活躍した時代を
なつかしく思い出す。

テレビの千代の富士特集を全部見るつもりです。

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よしなに
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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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