千秋楽結びの一番、横綱同士による全勝対決が実現。この
史上初の優勝争いの舞台となったのが、大阪場所であった。
昭和35年三月場所、栃錦と若乃花の両雄の間で行われた。
協会が個人優勝を制定した大正15年から105場所目のこと
であった。
史上初の優勝争いの舞台となったのが、大阪場所であった。
昭和35年三月場所、栃錦と若乃花の両雄の間で行われた。
協会が個人優勝を制定した大正15年から105場所目のこと
であった。
なお、明治42年両国国技館開設以降、時事新報社が国技
館に優勝額を掲げてからは、大正6年に横綱太刀山と大関
大錦の間で千秋楽全勝決戦はあった。だが、取組は東西制
であり、10日制であった。しかし、横綱同士では史上初であり、
系統別総当たり制及び15日制ではスケールが違った。
大錦の間で千秋楽全勝決戦はあった。だが、取組は東西制
であり、10日制であった。しかし、横綱同士では史上初であり、
系統別総当たり制及び15日制ではスケールが違った。
<若乃花のブロマイド>
栃錦は当時、体重130キロですでに小兵ではなかった。ここ
1年81勝9敗と充実していた。この1年の対戦成績は優勝決
定戦を含め、3勝3敗であった。ここまで、栃錦が優勝10回、
若乃花が7回であった。
1年81勝9敗と充実していた。この1年の対戦成績は優勝決
定戦を含め、3勝3敗であった。ここまで、栃錦が優勝10回、
若乃花が7回であった。
決戦前夜、眠れない若乃花が付け人を連れて映画館に行
くと、薄暗い中に栃錦の後ろ姿を見つけた。「ああ、栃関も
ああやって、気を休めているんだな」と思ったという。映画が
終わると、若乃花はそっと映画館を出たという。
ああやって、気を休めているんだな」と思ったという。映画が
終わると、若乃花はそっと映画館を出たという。
<栃錦のブロマイド>
千秋楽、ついに両雄の激膣の瞬間が来た。元双葉山の時
津風理事長がそっと土俵下にすわって、両雄の勝負を見
届けようとした。注目の結びの一番、激突の瞬間が来た。
両者立ち上がって、競り合いから左四つがっぷり。栃若の
勝負は前期、栃錦有利であったが、後期、逆転していた。
がっぷり四つが苦しい栃錦は、差し手を抜いて、上手を
切らんとした。だが、若乃花はここぞとばかり、引き付けて
寄り切った。若乃花は8回目の優勝を全勝で飾った。
勝負は前期、栃錦有利であったが、後期、逆転していた。
がっぷり四つが苦しい栃錦は、差し手を抜いて、上手を
切らんとした。だが、若乃花はここぞとばかり、引き付けて
寄り切った。若乃花は8回目の優勝を全勝で飾った。
翌場所栃錦は突如引退した。全勝決戦は栃若時代、最後
のクライマックスであった。
のクライマックスであった。
三月場所まであとわずか。味深いテーマを記していきます。
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よしなに
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