大相撲

史上初 それは大阪場所でおきた

2016年3月8日

千秋楽結びの一番、横綱同士による全勝対決が実現。この
史上初の優勝争いの舞台となったのが、大阪場所であった。
昭和35年三月場所、栃錦と若乃花の両雄の間で行われた。
協会が個人優勝を制定した大正15年から105場所目のこと
であった。

なお、明治42年両国国技館開設以降、時事新報社が国技
館に優勝額を掲げてからは、大正6年に横綱太刀山と大関
大錦の間で千秋楽全勝決戦はあった。だが、取組は東西制
であり、10日制であった。しかし、横綱同士では史上初であり、
系統別総当たり制及び15日制ではスケールが違った。

若
<若乃花のブロマイド>

栃錦は当時、体重130キロですでに小兵ではなかった。ここ
1年81勝9敗と充実していた。この1年の対戦成績は優勝決
定戦を含め、3勝3敗であった。ここまで、栃錦が優勝10回、
若乃花が7回であった。

決戦前夜、眠れない若乃花が付け人を連れて映画館に行
くと、薄暗い中に栃錦の後ろ姿を見つけた。「ああ、栃関も
ああやって、気を休めているんだな」と思ったという。映画が
終わると、若乃花はそっと映画館を出たという。

栃
<栃錦のブロマイド>

千秋楽、ついに両雄の激膣の瞬間が来た。元双葉山の時
津風理事長がそっと土俵下にすわって、両雄の勝負を見
届けようとした。注目の結びの一番、激突の瞬間が来た。
両者立ち上がって、競り合いから左四つがっぷり。栃若の
勝負は前期、栃錦有利であったが、後期、逆転していた。
がっぷり四つが苦しい栃錦は、差し手を抜いて、上手を
切らんとした。だが、若乃花はここぞとばかり、引き付けて
寄り切った。若乃花は8回目の優勝を全勝で飾った。

翌場所栃錦は突如引退した。全勝決戦は栃若時代、最後
のクライマックスであった。

三月場所まであとわずか。味深いテーマを記していきます。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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