大鵬の出現には目を奪われた。新入幕で初日から11連勝した。当時
は今と違って幕内しか放送していないため、入幕して初めて見るこ
とになる。打ち出しは17時半頃だった。昭和35年一月場所のことで
ある。大鵬はまだ細かったが、将来の大物を十分予感させた。

その大鵬は入幕した年に関脇優勝している。入幕6場所目のことで
ある。そのときは2横綱3大関であった。横綱若乃花と大関琴ヶ濱
は途中休場であった。もっとも二所系統のため二人との対戦はない
が。
大鵬は大関若羽黒に敗れ2敗となった。13日目2敗同士で横綱朝潮
と対戦した。寄り切りで破って優勝へ大きく前進した。朝潮は結局
優勝できず、横綱12場所連続優勝なしとなった。
14日目3敗の大関柏戸と対戦した。柏戸は前褌を取って走る相撲で
ある。大鵬はこのころ柏戸を苦手としていた。それでも寄り切りで
勝ち、千秋楽も勝って13勝2敗で初優勝した。

ただ、関脇で優勝したが三賞はなかった。朝潮についで二人目であ
った。いやその後もなく二人しかいない。
双葉山に傾倒し、相撲を見る基準を双葉山においた小坂秀二氏はい
う。昭和の横綱で天才といわれたのは戦前の照国と戦後の大鵬であ
る。大鵬は天才であった。天才大鵬がさらに努力した。