昭和9年春場所、関脇男女ノ川が優勝した。横綱玉錦は全休。大関
に武蔵山と清水川がいた。清水川2敗、男女ノ川1敗で対戦して男
女ノ川が勝って優勝へ前進した。武蔵山には千秋楽敗れるが9勝2
敗で優勝した。取組は系統別総あたり制だった。
男女ノ川はこれが2度目の優勝だった。春秋園事件で協会を脱退し
た男女ノ川。復帰したときは番付に名がなく、急遽別席を設けた。
そのときが初優勝だった。横綱・大関・関脇と対戦しての価値ある
優勝だった。

関脇優勝後男女ノ川は大関に昇進した。さらに横綱になった。だが、
皮肉なことに大関・横綱での優勝はついになかった。玉錦時代であ
り、やがて双葉山時代へと移行した。
引退後、一代年寄で協会に残るも理事会を欠席するなど熱心さに欠
け、協会を離れることになった。これが悲劇の始まりだった。その
後保険の外交員など様々な職を転々とした。衆議院選挙に立候補し
たが、落選している。下足番もやった。最期まで不遇の人生だった。
昭和11年夏場所。ここで覇者交代の大一番が行われた。横綱玉錦対
関脇双葉山が全勝同士で9日目金曜に激突した。当時は11日制で昭
和8年から千秋楽は月曜が多かったが、この場所に限って日曜だっ
た。横綱武蔵山は全休、横綱男女ノ川・大関清水川は不振だった。

相撲はこう展開した。双葉山が立ち合いを制して得意の右四つに組
む。玉錦はもろ差しを狙って左の上手を離した。勝負を焦る玉錦の
一瞬のスキを双葉山はついた。すかさず体を寄せて玉錦を土俵際に
追い込んだ。玉錦は残そうとしたが無理だった。双葉山は右手を抜
いて胸を押し、そのまま体を預けて倒した。
双葉山は関脇で全勝優勝を達成した。このとき69連勝の途上だとは
誰も気がつかなかった。玉錦にはこれまで6連敗したが、以降は4
連勝している。1度勝ったらもう負けなかった。双葉山は場所後大
関に昇進した。それさえも2場所で通過した。