大相撲

照ノ富士の全盛期

2017年4月22日

三月場所優勝同点に終わったが、久々に積極
的で元気あふれる相撲を取った照ノ富士。
照ノ富士がいたからこそ、稀勢の里の逆転
優勝が感動を呼んだともいえる。三月場所は
照ノ富士にとって実はカド番であった。それ
も4度目のカド番であった。昨年(平成28年)
の一月場所から一場所おきにカド番という
要領のよさであった。以下がその詳細である。
平成28年
一月場所 3勝3敗9休
三月場所 8勝7敗
五月場所 2勝13敗
七月場所 8勝7敗
九月場所 4勝11敗
十一月場所8勝7敗
平成29年
一月場所 4勝11敗
これを見る限り、とても大関の実力とはいえ
ない、ということが明々白々である。
110512五日目幕下以下 255
<若三勝の名で一番出世 当時2代目
若乃花の間垣部屋所属>
 
照ノ富士はスピード出世の力士だった。平成
23年の技量審査場所で一番出世した。序ノ口
デビューから2年1場所かかって十両入りし
た。十両は3場所で通過している。優勝が
1回ある。そして入幕8場所を要して、9場
所目で大関に昇進しているのである。白鵬が
入幕12場所を要して13場所目に大関に昇進
しているのと比較すると、照ノ富士がいかに
早いかわかる。

それでは照ノ富士の全盛期はいつか。それは
大関にあがる直前2場所の関脇時代から大関
に昇進した直後の2場所である。成績は以下
である。
平成27年
三月場所 関脇13勝2敗
五月場所 関脇12勝3敗優勝
七月場所 大関11勝4敗
九月場所 大関12勝3敗優勝同点
150320十三日目幕内 1029
<H27年三月 横綱白鵬を寄り切る>
 
このころの照ノ富士は勢いがあり、伸び盛り
であり、何より23歳と若かった。ほかの横綱・
大関が30代及び30代へと突入せんとしている
のと比較すると、まさに期待される若手で
あった。横綱がねらえる大関であった。しか
し、その後ケガの影響があって照ノ富士に影
を落とし、精彩を欠く相撲が続いた。

三月場所の13勝2敗をもって復活といって
いいのか。照ノ富士にとって今回の13勝2敗
が新たな全盛期のスタートとなるのか。現
段階では、まだ微妙としかいえない。五月
場所の照ノ富士を見守るしかないと思う。
150527照ノ富士大関 082
<H27年五月場所後 大関昇進の日の
照ノ富士>

年2場所時代のファンは夏場所後から7カ月
どのように過ごしてたのでしょう。
興味深いテーマをこれからもお届けます。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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