歴代横綱勝率ランキング:最強の力士は誰だ!?

相撲は日本の国技として何世代にも愛されてきました。歴史に名を刻む「横綱」たちは、一体どれほどの強さを誇っていたのでしょうか? 歴代横綱の勝率に注目し、データから“最強の力士”像を探ってみます。古今東西の横綱たちの成績をランキング形式で紹介し、その驚異的な数字や時代背景、伝説的エピソードを交えながら解説します。「最強横綱は誰か?」という問いにデータで迫るこのランキングは、相撲ファンはもちろん、普段相撲を見ない人でも楽しめる内容になっています。さっそく、大相撲の歴史を彩った横綱たちの勝率ランキングを見ていきましょう。

横綱勝率ランキング(トップ10)

まず、歴代横綱の中でも勝率が高い10名をランキング形式でまとめました。勝率とは「勝ち星を総取組数(勝ち星+敗戦)で割った割合」です。数字が高いほど、土俵で負けることが少なかった横綱と言えます。下表では勝率とともに、横綱昇進後の主な通算成績(勝ち星-敗戦数)も併記しています。

順位横綱(在位年代)勝率横綱通算成績(勝-敗)
1太刀山 峯右エ門(明治~大正)96%84勝-3敗
2栃木山 守也(大正)93.5%ja.wikipedia.org115勝-8敗​ja.wikipedia.org
3大錦 卯一郎(大正)89.5%ja.wikipedia.org77勝-9敗​ja.wikipedia.org
4双葉山 定次(昭和戦前)88.2%ja.wikipedia.org180勝-24敗​ja.wikipedia.org
5白鵬 翔(平成~令和)87.5%ja.wikipedia.org899勝-129敗​ja.wikipedia.org
6玉の海 正洋(昭和)86.7%130勝-20敗
7大鵬 幸喜(昭和)85.8%622勝-103敗
8玉錦 三右エ門(昭和戦前)85.2%104勝-18敗​sumomakimono.kumobit.com
9千代の富士 貢(昭和~平成)84.8%625勝-112敗
10朝青龍 明徳(平成)83.6%oozumoweb.com463勝-91敗​oozumoweb.com

※勝率は横綱昇進後の成績に基づき算出(休場や引分は除く)。「約○○%」は小数点第三位を四捨五入した概算です。

上のランキングからも分かるように、勝率8割超という圧倒的な成績を残した横綱はそう多くありません。長い相撲史でも勝率9割以上を記録した横綱はごく僅かで、太刀山(第22代横綱)や栃木山(第27代横綱)など大正時代以前の力士が上位を占めています。一方、昭和後期から平成・令和にかけての横綱では白鵬がトップで、約87.5%の勝率(15日制以降では歴代1位)を誇ります​

ja.wikipedia.org。それでは、これら上位横綱たちがどのような強さを見せていたのか、時代背景やエピソードとともに詳しく見ていきましょう。

勝率上位横綱の強さを徹底分析!

ランキング上位に入った伝説の横綱たちは、それぞれの時代でどんな強さを発揮したのでしょうか。上位10名の横綱について、その圧倒的な勝率の裏側にある物語や記録を紹介します。

1位:太刀山 峯右エ門 – “無敵の鬼”と呼ばれた伝説の横綱

太刀山 峯右エ門(たちやま みねえもん)は明治末から大正初期に活躍した横綱です。横綱在位中の勝率は約96%という驚異的な数字で、昇進後に喫した黒星はわずか3敗のみでした。その強さゆえ土俵では「鬼」と称され、横綱時代には対戦相手に一度も金星(平幕による横綱撃破)を与えなかった唯一の横綱でもあります。太刀山は突き押し主体の猛烈な相撲で知られ、1敗を挟んで43連勝56連勝を記録したこともあります。当時は年2場所制で今より取組数が少なかったとはいえ、「無敗の横綱」と言って差し支えない圧倒的な強さで相撲ファンを驚嘆させました。

2位:栃木山 守也 – “近代最強”とも称される安定感

栃木山 守也(とちぎやま もりや)は大正時代に活躍した第27代横綱です。勝率は約93.5%と史上2位で、横綱昇進以降は9割超の勝率を維持しました​

ja.wikipedia.org。取り口は非常に堅実でミスが少なく、その安定感から引退後も「近代最強力士」と推す声が多い横綱です。栃木山は太刀山を唯一土俵上で破った経験を持ち、横綱在位中も休場以外ではほとんど負けないまま驚くほどあっさり引退しています。大正末期に常勝を誇った姿から、後世のファンや専門家から「彼以降、横綱で勝率9割を超えた者はいない」と語り継がれる存在です。その圧倒的な強さと潔い引退の仕方は、まさに「大横綱」の風格に満ちていました。

3位:大錦 卯一郎 – 短期決戦で輝いた昭和初期の名横綱

大錦 卯一郎(おおにしき ういちろう)は昭和初期(1920年代)の横綱で、わずか12場所の横綱在位ながら勝率約89.5%を残しました​

ja.wikipedia.org。横綱として77勝9敗という成績は、ほぼ負け知らずのペースです。大錦は名横綱・太刀山や常陸山に続く世代として登場し、昭和初期の相撲人気を支えました。土俵上では怪力と粘り強さを併せ持ち、“2時間5分に及ぶ取組”という伝説的な長時間相撲を演じたことでも有名です(当時は制限時間がなく、勝負がつくまで取り直した記録)。しかし全盛期に突然廃業(引退)したため、在位期間は短めでした。それでも短期間で残した高勝率と9回の優勝は、昭和初期の相撲黄金時代を語る上で欠かせない実績です。

4位:双葉山 定次 – 昭和の大横綱、“不滅の69連勝”の立役者

双葉山 定次(ふたばやま さだじ)は昭和15年(1940年)頃まで活躍した横綱で、通算69連勝という前人未到の記録を打ち立てた人物です。その横綱在位中の勝率も約88.2%に達し、12回の幕内優勝を誇りました。双葉山は小兵ながら右四つからの強烈な寄りを武器に無敵を誇り、「絶対に負けない横綱」として昭和初期の相撲界を席巻しました。昭和13年から14年にかけて達成した69連勝は今なお相撲史上最長記録で、この間の勝率は当然100%でした。連勝が止まった後も実力は衰えず、横綱通算成績は180勝24敗という堂々たる数字です​

ja.wikipedia.org。戦後に至るまで「双葉山こそ史上最強」と崇めるファンも多く、その名は大相撲史に燦然と輝いています。

5位:白鵬 翔 – 近代最多記録を塗り替えた平成の大横綱

白鵬 翔(はくほう しょう)は平成~令和にかけて活躍した第69代横綱で、史上最多となる45回の幕内優勝を達成した現代の大横綱です。6場所制という試合数の多い時代にあって勝率は約87.5%​

ja.wikipedia.orgと驚異的で、15日制が定着した昭和24年以降では歴代1位の横綱勝率を誇ります​

ja.wikipedia.org。15年間という長期にわたり第一線で活躍し続け、連勝記録でも昭和以降2位となる63連勝を成し遂げました​

ja.wikipedia.org。白鵬は右四つ左上手投げを得意とし、大柄な体格と卓越したバランス感覚で無類の強さを発揮。全盛期にはまさに敵なしで、「平成の大横綱」として人気と実力を兼ね備えた存在でした。長期政権ゆえ終盤は怪我も増えましたが、それでも引退まで横綱の座を守り続けた精神力と勝負強さは特筆に値します。データ上も記憶上も、白鵬は歴代最強横綱の一人と言えるでしょう。

6位:玉の海 正洋 – 優勝請負人、無念の早逝が惜しまれる俊英

玉の海 正洋(たまのうみ まさひろ)は昭和40年代前半に活躍した横綱です。玉の海は横綱在位わずか10場所ながら勝率約86.7%を残し、在位期間中に6場所連続優勝(当時タイ記録)を達成するなど圧倒的な強さを示しました。大型力士全盛の時代にあって体重100kg台後半のバランス型力士として活躍し、名横綱柏戸・大鵬といった強豪を相手に互角以上の土俵を展開しました。残念ながら1971年に28歳の若さで急逝し、さらなる記録更新はかないませんでした。しかし、もし健康に恵まれていれば大鵬を超える記録を打ち立てていた可能性もある逸材であり、その高勝率とともに今なお語り草となっています。短期間で鮮烈な足跡を残した横綱として、玉の海の名前はファンの記憶に刻まれています。

7位:大鵬 幸喜 – 昭和の優勝記録保持者、“巨人・大鵬・卵焼き”の象徴

大鵬 幸喜(たいほう こうき)は昭和40年代にかけて活躍した第48代横綱で、戦後初の「大横綱」と称された人物です。幕内最高優勝32回(当時歴代1位)を記録し、昭和の相撲ブームを牽引しました。勝率も約85.8%に上り、6場所制が定着した時代としては驚異的な数字です。大鵬は1960年代に柏戸との「柏鵬時代」を築き、6連覇(6場所連続優勝)を2度達成するなど無類の勝負強さを発揮しました。長い手足を活かした寄り・投げの多彩な技で相手を圧倒し、その強さから「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語が生まれるほど子供たちの憧れの的でした。通算成績でも横綱として622勝103敗という堂々たる数字を残しており、昭和を代表する最強横綱として今でも語り継がれています。

8位:玉錦 三右エ門 – 双葉山の好敵手、不屈の闘志の持ち主

玉錦 三右エ門(たまにしき さんえもん)は昭和初期に活躍した第32代横綱で、勝率約85.2%を記録しました。双葉山の台頭以前は無類の強さを誇り、幕内優勝9回を挙げています。玉錦は小柄ながら強靭な筋力と闘志で知られ、その激しい取り口から「ケンカ玉」の異名を取りました​

bbm-japan.com。横綱として104勝18敗(在位12場所)という成績を残し​

sumomakimono.kumobit.com、双葉山とは優勝を争う良きライバル関係でした。双葉山の連勝記録が生まれる直前まで土俵に立ち続けましたが、1938年に現役のまま急逝。結果的に双葉山の69連勝を真正面から止める機会はありませんでした。それでも玉錦の闘志あふれる土俵は多くのファンを魅了し、昭和初期の相撲人気を支えた功労者と言えるでしょう。勝率ランキングでも上位に名を連ねるその実力は、伝説のライバルである双葉山に匹敵するものです。

9位:千代の富士 貢 – 鋼の肉体で昭和を制した“不屈の狼”

千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ)は昭和後期から平成初期にかけて土俵を沸かせた第58代横綱です。小柄な体格ながら筋骨隆々の肉体を作り上げ、「ウルフ」の愛称で親しまれました。千代の富士の横綱勝率は約84.8%で、幕内優勝31回を記録しています。1980年代には53連勝を達成し(歴代3位タイ記録)、当時低迷していた大相撲の人気を劇的に復活させました。特筆すべきはその肉体改造と怪我からの復活で、30歳を超えてから全盛期を迎えた稀有な例として知られています。「体力の限界…!」という引退会見の言葉も有名ですが、まさに限界まで闘志を燃やし続けた横綱でした。勝率ランキングでもトップ10に入る成績から、千代の富士がいかに圧倒的な強さで昭和の土俵を支配したかがお分かりいただけるでしょう。

10位:朝青龍 明徳 – 平成のダークヒーロー、猛烈な勝ちっぷり

朝青龍 明徳(あさしょうりゅう あきのり)は平成時代(2000年代)に活躍した第68代横綱です。勝率は約83.6%で、平成の横綱の中では白鵬に次ぐ高水準を誇りました。モンゴル出身の朝青龍は、豪快な動きと勝負への執念で在位中25回の幕内優勝(歴代4位)を成し遂げています​

spaia.jp。土俵態度の是非など物議を醸す場面も多かった反面、その勝ちっぷりは非常に鮮烈で、全盛期には1年間全ての本場所で優勝(年間グランドスラム)を達成した唯一の横綱でもあります。「ヒール(悪役)」とも称されましたが、相撲ファンを熱狂させたカリスマ性は本物であり、勝率というデータにも彼の強さが如実に表れています。朝青龍と白鵬のライバル対決は平成相撲の黄金期を築き、彼が去った後もしばらく「朝青龍ロス」と言われるほど、その存在感は群を抜いていました。

勝率から読み解く昔と今 – 9割超えが少ない理由とは?

ランキング上位を見ると、9割以上の勝率を残した横綱は戦前(昭和初期以前)に集中していることが分かります。この背景には、相撲の制度や環境の変化が大きく影響しています。ここでは、昔の横綱と現代の横綱を取り巻く違いを探りながら、「なぜ勝率9割超の横綱が少ないのか」を考察してみましょう。

  • 年間の取組数の違い:大相撲は明治~昭和初期までは年2場所制(1場所10日間前後)でしたが、現在は**年6場所制(各15日間)**が定着しています。単純計算で、横綱が一年間に土俵に上がる回数は昔がおよそ20取組なのに対し、現代では90取組にもなります。試合数が少なかった時代では「絶好調のまま短期間で引退」も可能でしたが、現代では長期間にわたり多くの取組をこなす必要があるため、無敗を貫き通すことが難しいのです。実際、勝率トップの太刀山や栃木山は横綱在位が数年と比較的短く、全盛期のまま土俵を去りました。一方、白鵬や大鵬のように10年以上第一線で活躍し続けると、蓄積するわずかな黒星でも徐々に勝率は下がってしまいます。
  • 引分や預り制度の存在:現在の大相撲では勝負がつかなければ取り直し(再試合)となりますが、昭和初期までは引分(引き分け)や預り(勝負預かり)という裁定が存在しました。力が拮抗して決着がつかない場合に引き分けとされることも多く、横綱にとって「負けではない結果」で終えられる仕組みがあったのです。例えば双葉山や常陸山などは数多くの引分・預りを記録しています​ja.wikipedia.org。引分は勝率計算では敗戦に数えませんから、現代に比べて横綱の星取に黒星が付きにくい環境だったとも言えます(太刀山や栃木山の高勝率にも、引分制度が影響しています)。1950年代以降、この制度は廃止され全て白黒つける形に変わりました。そのため近代相撲では横綱でも負ける時は負けになり、結果として勝率はやや下がる傾向があります。
  • 番付制度と実力拮抗:明治~大正期には東西合わせて二人以上の横綱が同時に存在する「東西制」の時代や、東京相撲と大阪相撲が並立する時代がありました。この頃は横綱同士が直接対決しないことも多く、横綱が自分より格下の力士との取組で星を重ねやすい面もありました。一方、現代では原則全ての力士が総当たりでぶつかるため、横綱同士・大関同士のような実力者同士の対決が頻繁に発生します。当然ながら格上同士の対戦は互いに白星を食い合うので、必然的に勝率も下がりやすくなります。また、スポーツ医学の発達や相撲の国際化により全体のレベルが上がったことで、「絶対的な力の差」を維持しにくくなっている点も見逃せません。昭和以降で勝率8割超えの横綱がわずか14人しかいない事実は、時代が下るにつれて横綱といえど油断できない環境になっていることを物語っています。
  • 長期在位による疲労・ケガ:横綱の重責は想像以上に厳しく、負傷しても休めないプレッシャーや土俵外の務めによる心身の負荷が常につきまといます。昭和以降は特に場所数の増加でケガのリスクも高まり、無理を押して出場すれば成績は落ち、休めば休んだで調整不足から黒星が増えるジレンマがあります。貴乃花や稀勢の里のように、怪我に苦しんで勝率を下げてしまった横綱も少なくありません。勝率9割どころか8割維持でも偉業と言われる現在、休場を交えながらでも高勝率を維持した白鵬のような存在は極めて希有です。逆に言えば、太刀山や栃木山のように圧倒的な成績で走り抜けられた横綱は稀であり、勝率の高さが際立つのも納得できるでしょう。

以上のように、時代背景や制度の違いが横綱の勝率に大きな影響を与えてきました。「勝率9割超」は一つの目安ですが、それを達成できるかどうかは個々の力士の実力だけでなく、その時代の相撲のしくみや周囲の状況にも左右されるのです。現代では極めて難しい水準であり、歴代でもごく限られた横綱しか到達できなかった理由がお分かりいただけたと思います。

勝率以外で光る横綱たちの伝説エピソード

数字上のランキングに入らなくても、相撲史に名を残す横綱の偉業は他にも数多く存在します。ここでは、データだけでは測れない横綱たちの逸話や大記録をいくつかご紹介します。勝率ランキングと合わせて知ることで、「最強」の捉え方がまた違って見えてくるかもしれません。

  • 双葉山の69連勝: 勝率ランキング4位の双葉山ですが、その69連勝は大相撲史上未曾有の大記録です。昭和13年1月場所から昭和14年1月場所まで約2年間負けなしという神懸かった強さで、当時日本中が双葉山の連勝に熱狂しました。連勝がストップした後、双葉山は「イマダモッケイナシ(未だ木鶏足りえず)」という言葉を残した逸話が有名です。これは「まだまだ心技体が未熟である」という自己反省の言葉ですが、絶頂期に奢らずさらなる高みを求めた横綱の矜持を物語っています。69連勝はその後80年以上破られていない不滅の記録であり、連勝記録2位の白鵬(63連勝)ですら届きませんでした​ja.wikipedia.org。勝率という数字以上に、双葉山の連勝街道は「最強の横綱」を語る上で欠かせない伝説です。
  • 大鵬の幕内優勝32回(史上2位)と白鵬の45回(史上1位): 横綱の強さを示す指標として優勝回数も見逃せません。昭和の大横綱・大鵬は通算32回の幕内最高優勝を成し遂げ、「優勝回数=強さ」の価値観を世に植え付けました。平成に入り、その記録に迫ったのがモンゴル出身の朝青龍(25回優勝)であり、最終的に塗り替えたのが白鵬でした​spaia.jp。白鵬は2010年代に大鵬の記録を更新し、最終的に45回の優勝という前人未到の境地に到達します。これらの記録は単なる数字以上の重みがあり、長期間にわたって安定して強さを維持し続けなければ成し得ない偉業です。勝率ランキング上は大鵬も白鵬もトップ5~7位前後ですが、優勝回数に焦点を当てれば白鵬=史上最強と評する声も多いでしょう。反対に、短期間で高勝率を残した横綱が必ずしも優勝回数トップというわけではなく、ここにも「強さ」の多面的な捉え方が現れています。
  • その他の名横綱の功績: 勝率ランキング圏外でも相撲史を語る上で重要な横綱はたくさんいます。たとえば、昭和初期の常陸山 谷右エ門(ひたちやま たにえもん、第19代横綱)は「角聖」と称えられ、相撲人気を全国区に押し上げた功労者です。彼の幕内勝率は9割を超えていたという資料もあり、梅ヶ谷(第20代)と競い合った「梅常陸時代」は伝説的なエピソードに満ちています。また、平成の貴乃花 光司(第65代横綱)は勝率こそ8割強に留まりましたが、相撲人気低迷期に豪胆な相撲で国民的人気を博し、兄弟横綱やモンゴル勢との名勝負で平成相撲を盛り上げました。さらに、一度しか土俵に上がらず引退した陣幕 久五郎(第12代横綱)は公式戦無敗の横綱として異色の存在です(※10戦全勝1預かりの成績を残し引退)。このように、それぞれの横綱が持つ逸話や功績は勝率という一つの尺度では計り知れない魅力があります。

まとめ:データが示す“最強横綱”とは?

以上、歴代横綱の勝率ランキングを通じて、大相撲史に残る横綱たちの強さを見てきました。ナンバーワンの勝率を叩き出した太刀山をはじめ、栃木山・双葉山といった往年の名横綱たちはほとんど無敗と言っていい成績を残し、まさに「伝説」と呼ぶに相応しい存在です。一方で、白鵬や大鵬、千代の富士のように試合数の多い時代に長期政権を築いた横綱たちもまた、違った意味で桁外れの強さを示しました。**「最強の横綱は誰か?」**という問いに単純な答えを出すことは難しいかもしれません。というのも、「強さ」の定義は勝率だけで決まるものではなく、優勝回数や連勝記録、在位年数、対戦相手の層など様々な要素が絡むからです。

データから見れば、勝率という指標では太刀山が史上最強クラスの横綱であり、次いで栃木山や双葉山が続くという結果になります。しかし、最強の横綱像は数字の裏側にあるストーリーと共に語られるべきでしょう。69連勝という金字塔を打ち立てた双葉山、記録と記憶の両面で相撲界を支配した白鵬、土俵外の影響力まで含め「大横綱」と称えられた大鵬…。それぞれの横綱に異なる“最強”の物語があります。

言い換えれば、「勝率だけが強さの全てではない」ということです。勝率ランキングはあくまで一つの角度に過ぎませんが、そこから浮かび上がるのは**「滅多に負けない横綱」**という揺るぎない強者の姿です。時代を超えて高勝率を残した横綱たちには、共通して際立った精神力と統治者の風格が備わっていました。データが示す最強横綱たちの姿を踏まえ、改めて現代の横綱たちに思いを馳せると、大相撲というスポーツの奥深さとロマンを感じずにはいられません。歴代横綱たちの偉業に敬意を表しつつ、これからも「史上最強」の議論に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。


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