大相撲

混迷の時代の優勝者のその後2

照ノ富士
混迷の時代、照ノ富士は3回優勝している。7回目、
8回目、9回目の優勝である。それだけ聞くとよく
やっていると思いがちだが、つぶさに検討すると、
そうはいかない。7回目の優勝後の成績は58勝25敗
92休である。とにかく休場が多すぎる。

<照ノ富士>

横綱は地位が落ちないという特権がある。しかし、
特権だけを主張して通るわけがない。横綱の責任を
果たす義務があるはずだ。それができていない点が
何とも物足りない。

逸ノ城
優勝した約9カ月後引退した。2023年一月場所は出
場停止だった。翌場所十両優勝している。それなの
に五月場所前に突然引退している。

<逸ノ城>

これはどうみても体力の限界とは思えない。師匠湊
(元湊富士)と不仲、対立による破綻としか思えな
い。引退断髪式はホテルで行われ、湊部屋関係者は
いっさい姿を見せなかった。こんな前代未聞の断髪
式は双羽黒以来である。

玉鷲
混迷の時代、2回目の優勝があった。最高位大関で
も1回の優勝や優勝なしは珍しくない。その点よく
やったが、その後がいけない。65勝85敗である。今
年にはいっても低迷は続いて、横綱・大関戦は皆無
である。ベテランに見せ場はくるのだろうか。

<玉鷲>

(この項目続く)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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