大相撲

翔猿の珍記録

三月場所、幕内休場力士は6人だった。多い反面、
再出場した力士がいた。翔猿である。それも不戦敗
の翌日に出場という珍しいカタチでの再出場となっ
た。まさに珍記録となった。

<翔猿>

翔猿は10日目に休場した。しかし翌日から出場し、
8勝7敗と見事に勝ち越している。しかも上位で大
関戦2勝1敗。横綱照ノ富士から不戦勝を得ていて
惜しくも金星を獲得するチャンスは逃がしている。

千秋楽の不戦敗を除けば、こうした珍記録は幕内で
は5例目である。最初に珍記録を打ち立てた幕内力
士は大内山である。昭和26年夏場所のことである。
8日目に不戦敗となったが、あとは出場して10勝5
敗の好成績を残している。しかも小結だった。大内
山24歳のときである。

<大内山のブロマイド>

2例目、3例目は琴勇輝である。つまり一人で2度
達成したのである。最初は平成27年三月場所である。
前頭12枚目で8日目の不戦敗後出場している。成績
は6勝9敗だった。

3例目は平成29年五月場所である。再び前頭12枚目
である。9日目に不戦敗後出場してまたも6勝9敗
だった。

<琴勇輝>

4例目は最近である。令和5年一月場所の豊昇龍で
ある。関脇だった。10日目に不戦敗後出場して8勝
7敗だった。

さて、不戦敗後出場して翔猿に続く幕内力士はいつ
現れるだろうか。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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