大相撲

新大関3場所の通信簿3

<2016年9月 右 幕下時代の石橋(朝乃山)対戦相手高立>

昭和40年一月場所より部屋別総あたり制が
始まった。これは現在まで続いている。大鵬
対玉乃島、栃ノ海対佐田の山戦などが実現
している。初日小結玉乃島が横綱大鵬を内賭
けで倒すという波乱で始まった。横綱栃ノ海
対大関佐田の山はなんと4日目に実現して
いる。部屋別総あたり制で誕生した大関の
一部が以下である。

3場所30勝以上は清國、大麒麟、魁傑の3人
だけである。清國は新大関で優勝したが、
そのあとが続かなかった。大麒麟はそこそこ
の成績だが、彼がもっている素質からいうと
誠に物足りなかった。ここ一番で固くなる
欠点があり、大成しなかった。クリーン大関
魁傑は両足をズボンの片方に入れるが如く、
窮屈な相撲だった。そのため、大きく育つ
ことはなかった。

<大麒麟のブロマイド>

人気の貴ノ花は出だしから躓いた。この出だ
しが今後の貴ノ花を暗示していた。結局優勝
しても、横綱ははるかに遠かった。前の山、
大受は最初の場所で休場したことがすべてで
あった。前の山の突っ張り、大受の押しは
蘇ることはなかった。増位山はワンチャンス
を生かして大関になったものの、存在感を
示せないまま短命で終わっている。

<貴ノ花>

最高位横綱の新大関3場所をみていこう。
玉の海は大関時代玉乃島、2代目若乃花は
大関時代若三杉であるが、ここでは便宜上、
玉の海、若乃花とさせていただいた。

玉の海は大関になったものの、満足のいく
成績があげられない場所が続いた。横綱の
チャンスをつかむのはまだ先のことであった。
それでも横綱をつかめず、大関を20場所務め
ている。琴櫻も大関では芳しくない出だしで
ある。玉の海の急死がなければ、横綱は難し
かったのでは。

<玉の海>

輪島は場所ごとに強さ、安定感を増していっ
た。横綱は時間の問題だった。北の湖は13勝
優勝-13勝優勝同点で、3場所で横綱に昇進
している。北の湖は体をぶつける攻撃型の
相撲であった。貴受時代、貴輪時代などが
ささやかれた時期があったが、実質の伴わ
ない時代は消えている。北の湖の台頭でやが
て輪湖時代へと移っていった。

<北の湖>

若乃花は期待される逸材であった。大関2場
所目には優勝している。だが、横綱には直結
できなかった。3場所の成績は、もっている
素質を生かしきれないことを予感させた。
三重ノ海は関脇で優勝して大関になった。
だが、なってからが悲惨だった。3場所で
大関から陥落している。落ちた直後10勝以上
で大関に復帰したものの、横綱昇進は予想
できなかった。

<若三杉(2若乃花)>

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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