今でこそ外国人力士は珍しくもないし、人数も
大勢いる。現代なら情報がはいりやすいし、
先人が築いてきた道を歩んでいける。ところ
が純粋な外国人力士第1号となるとそうは
いかない。大相撲で成功した外国人第1号が
高見山である。高見山はどういういきさつで
入門し、いかに成功したのか。
高見山はハワイ出身である。高見山ことジェ
シー青年は高校でフットボールをしていた。
ハワイは日系人が多く、相撲がさかんであっ
た。独立記念日前後は各地で相撲大会が開催
される。アマチュア相撲連盟の一行がジェ
シー青年に稽古をつけた。そしてそのときの
当たり、パワーに驚かされた。
<高見山の記事>
アマチュア相撲連盟の一人は大相撲のハワイ、
ロサンゼルス公演に同行していた。ジェシー
青年の入門話を高砂(元前田山)団長にもち
かけ、高砂部屋入門が決定した。昭和39年
2月のことであった。ジェシー青年は2月
21日に来日した。そのときの第一声は「寒~
い」であった。
高見山の言葉も習慣も食事も気候も違う生活
が始まった。これだけでも大変さが伝わる。
最も過酷だったのは稽古である。四股・テッ
ポウは毎日500回ずつやらされた。特に股わり
は悲鳴をあげた。「目から汗が出た」という
名言はこのときのものである。足腰を鍛える
ため、力士をのせたタイヤを引っ張る特訓も
あった。稽古はつらいことが多かったが、
ハワイには帰れなかった。高砂親方がパス
ポートを隠したため、高見山は山手線をぐる
ぐるまわるしかなかったというエピソードが
ある。
苦しい稽古のかいがあって高見山は順調に
出世した。幕内まで3年と4場所である。
序ノ口 1場所 優勝
序二段 1場所 優勝
三段目 1場所
幕下 14場所
17場所成績76勝43敗
十両5場所47勝28敗
<高見山の記事>
高見山は未知の世界に飛び込み、苦労し、
最後に成功した。高見山の家は父が亡くなり、
母と兄弟5人であった。長男高見山に生活が
かかっていた。成功の陰にはそんな一面が
あった。同時に外国出身力士への入門の扉を
開いたのであった。
荷物を送りました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
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