■信夫竜(海乃山)
信夫竜は入幕時の名前で海乃山のほうがよく
知られている。その海乃山にしても海力山
(かいりきざん)で届けたら番付が海乃山に
なっていたという。それなら海乃山でいいや
ということで、これで通した。昭和36年一月
場所、20歳で入幕した。立ち合い一瞬のけた
ぐりで大鵬、柏戸、豊山に土をつけ、土俵を
わかせた。今、こうした曲者タイプは見当た
らない。殊勲賞1回、敢闘賞2回、技能賞
3回受賞。金星5個。小結3場所、関脇3場
所務めた。昭和45年一月場所引退した。29歳
であった。

■玉嵐
二所ノ関からの分家独立は玉乃海のとき大き
なお家騒動となった。玉嵐はその騒動に巻き
込まれた。昭和36年5月、玉乃海が片男波
部屋をおこすにあたり、内弟子の移籍の申し
出に対し、二所ノ関(元佐賀ノ花)から待っ
たがかかり、玉嵐は結局約1年半かかって
移籍した。したがって昭和37年七月場所、
20歳で入幕したときはまだ二所ノ関部屋所属
であった。同期に大鵬、清國がいる。幕内を
11場所連続務めた後はほとんど十両だった。
最高位は前頭4枚目。最後は十両で引退した。
まだ25歳だった。

■栃王山
現役に栃煌山(とちおうざん)がいるが、
こちらは「とちおうやま」と読む。昭和38年
一月場所19歳で入幕。しかし、しばらくは
十両と幕内の繰り返しであった。5年2場所
で幕内13場所、十両19場所であった。幕内に
定着したのは5年3場所目からであった。
唯一の三賞は入幕5年2場所間に敢闘賞を
受賞している。佐田の山、柏戸から金星を
獲得している。最高位は前頭筆頭。稽古中に
眼底出血、網膜はく離という重症を負った
ことがあった。その影響から視力が低下した
ことで昭和47年一月場所を最後に引退した。
28歳であった。

■逆鉾
逆鉾の四股名は明治、大正、昭和、昭和から
平成にかけて継がれてきた。なじみ深いのは
井筒3兄弟の次男坊で引退後井筒親方として
鶴竜を育てた逆鉾であろう。ここで紹介する
逆鉾は昭和38年五月場所、20歳で入幕した
力士である。新入幕の場所、11勝4敗で敢闘
賞を受賞している。ところが、私生活の乱れ
から、幕内4場所で引退(廃業)した。それ
も最後の十一月場所前に自ら髷を切っていた。
十一月場所は全休扱いとなった。最高位は
前頭6枚目。まだ21歳であった。
■若見山
入門は14歳(現在は卒業していないと入門
できない)のときで、立浪(元羽黒山)部屋
に入った。昭和39年一月場所、20歳で新入幕
を果した。身長177センチ、体重176キロと
ほぼ同じ数字という超アンコ型だった。北の
富士、清國とともに若手三羽烏として期待
された。右四つに引っぱり込んでの寄り、
極め出しを得意とした。三賞は敢闘賞が1回。
小結3場所、関脇2場所務めた。糖尿病を
患ったことがあって結局大成しなかった。
最後は十両で取って引退した。26歳であった。
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■玉乃嶋
昭和39年三月場所、20歳で入幕した。入幕時
は「嶋」の字だった。入幕2場所目から「島」
になった。出身地は愛知だが、出生地は大阪
であった。部屋別総あたり制が実施された
昭和40年一月場所初日、本家の横綱大鵬を
新小結の玉乃島が内賭けで倒したのは、語り
草になっている。大関になったのが22歳。
横綱のチャンスはあったが、遠く、26歳の
ときであった。横綱から玉の海を名のった。
横綱4場所目から抜群の安定感をみせた。
腰で取る右四つの型は完成されつつあった。

昭和46年夏、玉の海は虫垂炎を患っていた。
持ち前の責任感から切らずに注射で散らして
いた。それが10月初旬まで続いた。玉の海が
入院したのは10月4日であり、手術は6日に
なった。だが、5日後の10月11日、様態は
急変した。右肺動脈幹に発生した血栓症が
原因で玉の海は27歳で帰らぬ人となった。
暗転の青年横綱。玉の海の死はすべての人
から惜しまれた。かわいそうでならなかった。
そして玉の海の死はあまりにも大きな損失
だった。
(この項目続く)
東京中日スポーツに北の富士場所として
自伝的内容が掲載。
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