大相撲

隠岐の海引退大相撲レポート

9月最後の日も暑い1日だった。そんななかで隠岐
の海引退相撲が開催された。正式には「隠岐の海引
退年寄君ヶ濱襲名披露大相撲」である。

両国には10時20分頃着いた。当日券が発売されてい
たが、人から聞いた情報ではイスAしか売っていな
いとのことだった。

<関係者を迎える隠岐の海>

国技館入り口では隠岐の海夫妻が関係者に記念写真
の対応に追われていた。エントランス奥には千代翔
馬、朝乃山、北勝富士が立っていた。開演は11時20
分であった。

プログラムをみると2つ目に入った。一つ目は隠岐
古典形式による隠岐の海最後の相撲である。対戦相
手は隠岐の富士である。行司も呼び出しも独特の所
作である。力士が土俵に上がるとバックから塩の嵐
である。勝ったら勝ったでまたもや塩の嵐。2番勝
負でおこなわれた。

<塩だらけの相撲>

もう一つは子供踊りである。こちらは論より証拠。
写真でみていただきたい。

<子供踊り>

断髪式に入った。今回は約300人がハサミを入れる。
隠岐の海は正面から東、向こう正面、西と向きを変
えた。八角部屋のOBがはさみをいれた。女性枠は
なかった。

最後は肉親と協会関係者がハサミを入れた。元大飛、
元勢の春日山、元豪風の押尾川など。さらに力士と
しては照ノ富士、朝乃山、部屋の関取北の若・北勝
富士などがはさみをいれた。最後に師匠八角(元北
勝海)がとめばさみ。四方に礼をして断髪式は終了
した。夫人から花束贈呈がおこなわれた。

<一礼する隠岐の海と八角>

今回は旧友とここで国技館を後にすることにした。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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