去る十一月場所は新関脇安青錦の初優勝で幕をおろした。横綱大の
里が3敗トップでありながら千秋楽休場不戦敗でどうなるかと思っ
たが、横綱豊昇龍と関脇安青錦との間で優勝決定戦になった。横綱
豊昇龍に3連勝中の安青錦が送り倒しで勝って初優勝を成し遂げた。
横綱・大関をおさえ、関脇が優勝することは異例である。
大相撲の公式優勝制度は大正15年に始まった。最初の関脇優勝は玉
錦であった。昭和4年春場所、関脇玉錦は初優勝した。このとき横
綱常ノ花・宮城山は途中休場だった。

大関は4人いたが、常陸岩・大ノ里・能代潟の3人が不成績だった。
玉錦は大関豊國との1敗対決を制して初優勝した。ただ、玉錦は2
場所後大関に昇進できなかった。大関昇進したのはなんと6場所後
だった。
関脇優勝第2号は清水川である。昭和7年1月は大相撲界に激震が
走った。力士が待遇改善や改革を求めて協会と決別した。世に言う
春秋園事件である。そのため多くの脱退力士をだすことになった。
残った力士で本場所を開いた。人数が少ないため東西制ではなく、
系統別総当たり制となった。横綱は不在であった。大関は3人いて
千秋楽前日に大関玉錦と関脇清水川が全勝対戦した。清水川が勝ち、
千秋楽も勝って8戦全勝で優勝した。

清水川は2場所後大関に昇進した。当時は東京場所と地方場所の成
績をあわせて番付を編成した。横綱への昇進が甘く、落ちるときは
関脇以下の大関で清水川は昭和唯一の名大関といわれている。