元2代目若乃花の間垣から託された弟子のなかに若三勝がいた。十
両昇進とともに照ノ富士と改名した。照ノ富士は入幕後、要7場所
で初優勝し要8場所で大関に昇進した。ここまでは見事だったが、
ケガで大関の座を14場所であけわたした。
その後、休場がらみで番付をどんどん落とし十両から転落した。引
退を考えた照ノ富士だが、伊勢ヶ濱(元旭富士)親方は「まずケガ
を直そう」であった。これが照ノ富士の相撲人生の分岐点だった。
番付は序二段まで下げた。元大関としては前代未聞だった。ここか
らの復活劇があざやかだった。

再入幕では2回目の優勝を飾った。再入幕6場所後には大関に返り
咲いた。大関2場所でついに横綱にまで上り詰めた。空前絶後、も
うこんな力士は出てこない。照ノ富士自身は2度の相撲人生があっ
たと語っている。
その後照強、翠富士、錦富士が幕に上がってきた。元旭富士・翠富
士・錦富士は近畿大中退組である。翠富士と錦富士は序ノ口・序二
段で優勝決定戦をしている。さらに熱海富士が入幕を果たした。翠
富士と熱海富士は飛龍高校出身である。
新入幕で派手な話題をさらった力士が尊富士である。なんと新入幕
優勝を達成してしまった。そのあと全休という珍記録までついた。
小結・関脇を目指して奮闘している。

元旭富士の伊勢ヶ濱は横綱二人を誕生せた功績は大である。実質横
綱が地位化した常陸山以降で横綱を二人誕生させた者は以下である。
最後に示しておく。
数字は優勝回数
日馬富士は11勝1位の成績1回を含んいる
栃木山、大錦は幕内最高成績
出羽ノ海(元常陸山)大錦5 栃木山9
※元常陸山が亡くなったとき常ノ花は大関だった。
立浪(元緑嶋) 双葉山12 羽黒山7
出羽海(元両國=国岩)武蔵山1 安藝ノ海1
花籠(元大ノ海)初代若乃花10 輪島14
九重(元北の富士)千代の富士31 北勝海8
藤島→ニ子山(元貴ノ花)貴乃花22 3代若乃花5
伊勢ヶ濱(元旭富士)日馬富士9 照ノ富士10