関脇優勝誕生の背景3

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昭和戦前最後の関脇優勝は安藝ノ海である。安藝ノ海といえば双葉
山の連勝を69でストップした歴史的瞬間をつくり出した力士である。
新鋭の安藝ノ海の双葉山戦は面白いのでは、とみられていた。スピ
ードがあり、向こうづけの体勢になってのうまさがあった。まだ双
葉山とは顔があっていない強みがあった。そうはいっても、誰も双
葉山が安藝ノ海に負けるとは思っていなかった。

安藝ノ海のブロマイド

安藝ノ海が関脇優勝したのはそれから1年4ヵ月後であった。昭和
15年夏場所14勝1敗で初優勝した。このとき横綱双葉山は途中休場、
横綱男女ノ川は10勝5敗であった。また、大関羽黒山は途中休場で
不戦勝を安藝ノ海に与えている。大関前田山は11勝4敗だった。取
組は東西制で安藝ノ海は同じ方屋の男女ノ川・前田山との対戦はな
かった。

昭和22年夏場所から優勝決定戦制度が導入された。それ以前幕内最
高成績が同点の場合、番付上位が優勝者となった。また昭和22年秋
場所から系統別総あたり制になった。戦後最初の関脇優勝者は増位
山であった。昭和23年秋場所であった。

そのとき横綱羽黒山は全休。横綱照國・前田山は途中休場であった。
もっとも前田山は再出場した。大関汐ノ海は負け越していた。

増位山のブロマイド

優勝は大関佐賀ノ花・東富士と関脇増位山の争いだった。
3力士の対戦は以下だった。
3日目○佐賀ノ花ー増位山
8日目○増位山ー東富士
10日目○東富士ー佐賀ノ花
当時は11日制であった。
佐賀ノ花は千代ノ山に負け2敗となった。

優勝は1敗の東富士と増位山の間で優勝決定戦がおこなわれた。相
撲は、怒濤の寄り身の東富士を土俵際増位山がうっちゃりで破った。
名勝負として語られている。この後増位山は大関に、東富士は横綱
に昇進した。

なお、増位山は三保ヶ関部屋出身だが師匠の元滝ノ川死去により出
羽海部屋に身を寄せていた。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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