太刀山は、大関4場所を経て横綱になった。
明治44年夏場所横綱として登場。大関と対戦
したのは3人しかいない。同じ方屋同士は
対戦しないため、どうしても大関との対戦は
限定される傾向がある。1人目は駒ヶ嶽で
ある。大関駒ヶ嶽には4勝と圧勝している。
2人目は2代目西ノ海である。横綱2場所目
に対戦し、連勝(4分2預1相手休を含む)
を43でストップされている。しかし、大関
西ノ海にはこのあと5連勝している。
新しい力として浮上した大関が、大錦である。
最初の対戦となった大正5年夏場所は太刀山
が先勝した。翌場所は横綱太刀山、大関大錦
が初日から連戦連勝。ついに両雄9連勝で
千秋楽激突した。この大一番は若い大錦が
制した。太刀山はこの後2場所全休して引退
した。横綱の対大関戦は10勝2敗であった。
鳳は掛け投げを得意とした。横綱になって
からは物足りない成績が多く、対大関戦は
1勝3敗1分に終わっている。3敗のなか
には大錦・栃木山戦が含まれている。2代目
西ノ海は横綱在位5場所中4場所が休場の
せいで、対大関戦は伊勢ノ濱に1勝して終わ
っている。寂しい数字である。
大正の名横綱大錦は大正6年夏場所から横綱
として登場した。対大関戦は8勝1分と1度も
負けなかった。朝潮に1勝、伊勢ノ濱に2勝、
千葉ヶ崎に5勝1分である。三河島事件で身
を引いたことが加わって、横綱大錦をおびや
かす大関はついにいなかった。
大錦と同時代の横綱に栃木山がいる。ともに
出羽海部屋で対戦することはなかった。大正
7年夏場所に横綱として初陣。横綱栃木山の
強豪ぶりは対大関戦にも表われている。9勝
2分である。内訳は、千葉ヶ崎に7勝1分、
源氏山(3代目西ノ海)に1勝1分、太刀光
に1勝である。余力をもって引退した。
3代目西ノ海は休場が多く、対大関は1勝
3敗(1不戦敗含む)で終わっている。西ノ
海の四股名は2代目、3代目においては横綱
として実績に乏しいままで終わっている。
なお、これまでの横綱の対大関戦をまとめた
表が以下である。
(この項目続く)
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